2011年12月2日金曜日

懐かしき“明日に向かって撃て乗り”

手ぶらが好きなので、外出するときは、極力、ポケットだけですますようにしている。最近では、財布ももたず、お札と小銭をポケットにいれて歩いている。どうしても事足りなくなると、背負い型か肩掛け型のカバンを身につける。


所用があり、荷物が多かったこともあり、手持ちの背負い型のなかでも一番大きなものを、引っ張り出して自転車に乗っていたら、同行者に「ハハハ。甲虫みたい。ゼッタイに変だよ」といわれ、写真を撮られた。
自分では、至極まっとうなモノの運びかただと思っていたが、傍目には、ちょっと間抜けなスタイルにみえるのかもしれない。

むろん、世の中は広い。これしきのことで、変だの間抜けだのとガタガタいってはいけない。
上海の街角でみかけた、働くおじさんを見よ。


後ろ姿もど迫力!

ダイナミックにも程がある。
ひたすら感服である。
二回にわけて運ぼう、とか、軽トラを手配しようとか、常人の思いつく、小市民的解決策を、はなっから相手にしない迫力、潔さがここにある。

私は、不覚にも、二度見をしてしまい、あまつさえ写真まで撮ってしまったのだが、まわりの中国人の反応は、まったく薄かった。
心の中で、「日常かよ!」とツッコミをいれてしまった。


ベトナムでは、3メートルはあろうかという、鉄パイプを片手にもちながら、涼しい顔でスクーターに乗る、丹下段平似のおじさんをみかけたことがある。日本なら逮捕されるのではないだろうか?
このときは、「棒高跳びかよ!」とツッコミをいれておいた。


インドネシアの朗らかファミリーです。

ママ以外全部のせ! 原チャリ5人乗り。 もちろん、全員ノーヘル。
自己責任ここに極まれり!

自転車の二人乗りでも、目くじらたてて叱られる日本からすると、信じられないかもしれないが、東南アジアでは、3人4人乗りくらいは当たり前にみかける。
私がみかけた最高記録は、6人だ。一番後ろに座る、お母さんの背中では、首の据わらない赤ちゃんが、スヤスヤと眠っていた。


小学生の頃、自転車の二人乗りで、よくお巡りさんに止められた。
「危ないから二人乗りはやめなさい!」
正直いうと、その頃(いい大人になった今でも)、いったい自転車の二人乗りの、何がそんなに危ないのかが分からなかったので、いくら注意されても、心のなかで舌をだしていた。
私にとって、後輪の上にあるのは、荷台ではなく、タンデムシートだった。

だから、「明日に向かって撃て」のポール・ニューマンが、キャサリン・ロスをハンドルの上に座らせて、二人乗りをするシーンをTVで観た小学生の私は、世の中には、こんな斬新な乗り方もあるのかと、ひとしきり興奮した。
さっそく次の日、級友と真似してみたが、あれは、乗る方も乗せる方も、想像以上に難しかった。

いまやってみたらどうだろうか? やってみたくなった。
つきあってくれる人はいないだろうか?

2011年11月22日火曜日

CUBAはいかがですか?


突然ですが…
次の行く先に、HAVANAはいかがですか?

Moneyという意味では、どうしようもなく貧しいはずのこの街が、ひとが豊かに生きるためのヒントをくれるからです。

少年たちの野球ボールは、紙をテープで丸めたものでした。




おじさんが手にしていたマラカスは、豆の入ったペットボトルでした。
少年のサーフボードは、廃材を切り抜いたものでした。



















それでも、みな満ち足りた顔をしていました。
僕がHAVANAでみたものは、物質やお金に頼らない幸福でした。











そして、それは、物質主義・発展至上主義を頑として拒み続け、これほどの長い年月、権力の座にありながら、誠実であり続けたひとりの革命家の偉大な功績ではないでしょうか。

要するに、フィデル・カストロは正しかったのだと思います。

ぜひ一度、HAVANAへ

2011年11月15日火曜日

ロボコップ VS サンタクロース

日曜の夕方、小学校4年になる次男から電話あり。
自転車が無くなったとのこと。
児童公園に自転車をとめて、友達数人と遊んでいて、しばらくして戻ってみると、自分の自転車だけ無くなっていたという。

子供用の自転車だし、何年も乗っていて、相当なポンコツだから、動産としての価値はないに等しい。誰かがいたずら半分に乗っていったのだろうと見当をつけて、子供が待つ公園へとむかった。

すっかり暗くなった界隈を、友達も一緒に探してくれたみたいだが、結局みつからなかったようで、しょげかえる息子を連れて、近くの交番へ。

対応してくれたのは、若いお巡りさん。
なんとなく表情のみえない、冷たい感じのする彼が、にこりともせずに言う。

「どうします? 被害届け出します?」
「お願いします。」
「届けはどちらが、出します? お父さん?それとも息子さん? 拇印をもらわなければならないので」
「はあ、それでは、私が」
「防犯登録してますか?」

お巡りさんがそう問いかけたとき、ふいに息子が「防犯登録って何?」と耳打ちしてきた。簡単に説明すると、息子は、
「ふーん。サンタさんそんなことするかな? サンタさんって、日本語わからないんじゃないかな」と呟いた。
私は、思わず息子の顔を二度見した。
まさか、小4になる息子が、サンタクロースの存在を信じているとは…。
そういえば、一時期、私は、“どこまでもリアルなサンタクロースのプレゼントの置き方”を、家人に白い眼でみられるほど追求していたことがあったのだ。きっとそのせいに違いない。

「防犯登録はしているのですか?」という、再度の問いかけに我に返り、「はい」と答えると、すかさず息子が、「あれ、ひょっとしてパパが買ったの?」と耳打ちしてきた。

「ああ、そうだよ。パパが買ったんだ。サンタはいない」
そういってもよかったのだが、それが、いま、この交番のなかで、ロボコップのように無愛想なお巡りさんの目の前で、灰色のパイプ椅子に座りながらでなくてもいいのかなと、ぼんやり考えていた。

しかし、あくまで事務的な態度をくずさない、冷徹マシーン、ロボコップは、逡巡している間を与えてはくれなかった。彼が放った一言が、私をさらなる窮地へと追い込む。

「被害額はいくらですか?」
「被害額…?」
「購入されたものですよね。幾らくらいになるか、教えて下さい。記入しますから」
「…」

万事察しのよい息子が、またもはっとして、私の顔をみあげた。
口元を射す息子の視線。
「だいたいで、かまいませんから」
しびれを切らすロボコップ。

結局、私は思いっきりの真顔でこういうしかなかった。
「一万円くらいでしょうか? よくわからないな。何しろサンタクロースにもらったものなんで…」

そういい切ると、ロボコップが、はじめて書類から眼をあげた。そして表情を和らげて微笑んだ。
「ああ、そうでしたか。そうでしょうね」
そういって、もう一度書類に向かった彼は、「もらい物なので、はっきりわからないけど」と呟きながら、『一万円くらい』と記入していた。

すっかり暗くなった家路を辿るなか、息子は少しほっとした様子だった。
少なくとも、家に帰ったとたん、小6になる長男が放った「ばっかじゃないの。サンタがキディランドの包み紙でプレゼント配るか?」という衝撃の一言を聞くまでは…

その夜、息子の級友から、神社の前で、自転車を見つけたという電話がはいった。

2011年11月11日金曜日

晩秋の虫たち

蜜の吸いようのない、しおれた花にとまっていたモンシロチョウ





















屋上に鉢植えのルリマツリがある。
プルンバーゴとも呼ばれる、アフリカ原産のこの植物は、成長力旺盛で、陽光を浴びながら、わさわさと繁っていく。半ツル性で、横方向にも広がっていくので、隣のジャスミンがちょっと迷惑そうだ。

密度の濃い、鮮やかな緑のなかで、水色のきりりとした五弁花が、赤ちゃんの握りこぶしほどかたまって、あちこちに咲く様子を見ていると、「陽気」「健全」「逞しい」という言葉が浮かんでくる。若々しい母親のような、見るひとの気持ちを明るくする花だ。

初夏から晩秋まで、途切れることなく次々に咲きほこり、楽しませてくれるルリマツリだが、さすがに、この時季ともなると、花も終わりだ。

そんな最後の花に、モンシロチョウがとまっていた。
早朝の青い光のなかで、かろやかに花弁に脚をつけている。
近づいても、微動だにしない。蜜を吸っている様子もない。
なんとなく、天寿の全うを、静かに待っているようにみえる。
その姿が美しい。

ルリマツリの花のように、モンシロチョウも、春から秋にかけて2ヶ月ほどの寿命を繰り返す。
蝶であるのは2週間ほどで、その間に交尾をし、卵をうみ、死ぬ。
晩秋にさなぎになったものは、さなぎのまま冬を越す。来春、一番で舞う蝶は、さなぎで冬を越したものたちだ。

先日の君なのか?
シマトネリコを剪定しているとき見つけたカマキリは、おなかがぽってりふくらんでいて、明らかに卵をもっていた。その時は、切り落とした枝葉に混ぜて、捨ててしまうといけないので、屋上に避難させた。

この朝、屋上で見かけたカマキリは、随分すっきりスマートになっていた。あの時のカマキリだとしたら、どこかで卵を産んだのだろう。
彼女も、役目を終え、暫くの人生を楽しんでいるのだ。

2011年11月7日月曜日

シマトネリコ Before After

剪定前のシマトネリコ。この状態が奥の方まで続いている
半年ぶりにシマトネリコを剪定した。
3年ほど前に、2mほどの株立ちを7株、植えたものだ。
その成長の速いこと、ジャックと豆の木のごとし。
日当たりのよくない隣地との細長い隙間に植えたこともあってか、光を求め、貪欲に上へ上へと伸びていき、3年足らずで屋上に届くほどにまで、大きくなった。
ご覧の通りの、もっさもさ具合である。

もっさもさを目指して、様々な鳥たちがやってくる。スズメ、ヒヨドリ、ウグイス、メジロ、シジュウカラ、ムクドリ…。

一時、一羽のヒヨドリが、この木をねぐらに決めたらしく、夕方になると、決まって同じ枝にとまり、朝までぐっすり眠っていくようになった。
2階の窓からは、ほんの50㎝足らず、手をのばせば届くほど目の前である。
夜更けなど、あんまりぐっすり眠っているので、そーっと手をのばして、つかまえたい衝動に何度もかられた。
大人なのでやめておいたが。

夏になると、いつのまにか、丸々太ったアオムシでいっぱいになる。
これは、まず地面に落ちているブツで分かる。
最初は、ごま粒くらいの黒いものがパラパラとしているだけだ。
しかし、これは序章に過ぎない。
ほうっておくと、ごま粒はやがて、BB弾ほどになり、最終的にはフリスクになる。
フリスクを排出するほどのヤツともなると、本体は、大人の中指ほどもあり、もうこの大きさともなると、sharpens you up!ムシ卒業ハチュウルイに分類!と宣言したくなる。
普通なら駆除するのだろうが、ここまで葉が繁りまくると、ムシャムシャと旺盛に葉を食い散らすアオムシたちも、眼を細めてみてられるようになる。
最近では、「ここじゃなくて、このあたりを頼む」と、アオムシを見つけるたび、葉が繁りすぎている箇所に、移動させたりしていた。

そうこうするうち、結局ある日、ばっさりやることになる。
ここ2年ほど、年二回、早春と晩秋に剪定をするのが行事となっている。素人仕事なうえ、ひとりでやるものだから、時間がかかる。今回は、結局、のべ二日、最終日は、朝9時から夕方4時までかかった。
  
After。手の届かないところは、窓から身を乗り出し、
傘の持ち手を枝や幹にひっかけて、たぐり寄せながら、切っていく。
これがまた、このうえなく楽しい。
どれくらい、楽しいかというと…
朝9時からはじめて、夕方4時まで、家人に声をかけられなければ、昼食をとるのも忘れていたほどである。
昼食のぶっかけうどんを、わざわざ外へ運ばせ、地べたにあぐらをかいて、木を眺めながらすすったほどである。
「ぜったい植木屋さんに弟子入りしてやるぜ!」と心のなかで叫んだほどである。

何がそれほど楽しいか。本気で剪定してみればわかる。
この爽快感。ストレス解消、集中力養成に最高。
お勧めです。

2011年11月4日金曜日

芸術家の姿勢

男も惚れる破天荒な天才グールド

大好きな音楽家に、グレン・グールドがいる。言わずと知れた、天才ピアニストだ。

彼の奏でる音には、世俗を一切排した純粋さがあり、深く、それでいて、情熱的であり、僕たちの精神を、あらゆる束縛から解放してくれる。
天上の音楽だと思う。

は、父親が作った、極端に足の短い折りたたみ椅子を、生涯持ち歩き、演奏に使っていた。映像でみたグールドは、小さな椅子に長身の身体を折り曲げ、ピアノにぶら下がるような奇妙な姿勢で、鍵盤に鼻先をつけ、身体をゆさぶり、ハミングしながら、震えるほど美しいバッハを弾いていた。

演奏家ではないが、同じような創作風景をみたことがある。 
棟方志功だ。
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、彫刻刀を握りしめた彼が、版木に鼻先をつけて、鼻歌を歌いながら、蝦蟇のように這いつくばって彫りすすむ姿は、鬼気迫るものだった。
 
ところが、ともすると滑稽にさえみえる彼らの姿が、不思議なことに、僕には、いささかも醜くいものにみえなかった。いままさに、その手先から、息をのむような芸術が生み出されようとしているからだろうか。

富成清女さん

邦楽演奏会の撮影に行った。
富成清女さんの文化芸術祭参加公演。
ここ数年、秋のリサイタルと、春のお弟子さん達の発表会の写真を撮らせて頂いている。 

富成さんは、背筋をぴしりと伸ばして、朗朗と地唄を吟ずる。三味線の演奏時など、手先と口元以外は、ほとんど動かない。
正座姿といい、見事な着物といい、お琴の音といい、ああいいな、日本だなと思う。
富成さんの演奏姿はいつみても、若々しく格好いい。 

三曲(地唄三味線、箏、鼓弓)は、カンツォーネの国イタリア人や、サンバの国ブラジル人が聞いたら、腰を抜かすほど地味でおとなしく、禁欲的にさえ聞こえるだろう。
しかし、実は、抑揚を抑えた静のなかに、ときおり、熱いものが垣間見える曲も多いのだ。
ダイレクトに感情を表現するのではなく、音間や声の微妙な調子で、それを醸し出させるのは、日本人ならではの表現法だろう。
この特有の奥ゆかしさは、芸能のみならず、文学、料理、造園、武芸にいたるまで、日本古来の文化に通じるものだ。 

邦楽発表会で、ファインダーを覗いていて、気づいたことがある。
こと邦楽に限っていえば、上手い奏者は、おしなべて姿勢がよいのではないかということだ。素人の僕に、演奏の上手下手が、どの程度わかるのかということはさておき、やはり、ぴしりと背筋を伸ばしている人のほうが、綺麗な音を奏でるような気がしている。 

世の中は広いから、お行儀が悪いなどという周囲の干渉をモノともせず、グールドばりに、お琴の弦に鼻先をこすりつけるように演奏するツワモノ的名手がいるかもしれない。それはそれで格好いいかもしれない。

2011年11月1日火曜日

S.O.君の来訪とロザリオのラモス

頂いたロザリオとメダイ。聖ベネディクトのメダイは魔除けのお守りだ。
S.O.くんは、家族の人数分もってきてくれた。



















後輩のS.O.君が、久しぶりの来訪。

彼とは、同じ中・高校に籍をおき、その後、偶然にも同じ大学に入学。社会に出てからは、彼は書くほう、僕は撮るほうに進んだが、二人ともカトリック信者であるなど、不思議に共通項が多い。

パリ留学の経験があり、フランス語が堪能な彼は、朴訥だが、品のある話術で、いつだって僕を楽しませてくれる。

フランス旅行帰りの、彼からの土産は、モンサンミシェルで求めてくれた、聖ベネディクトのメダイとロザリオ。

ロザリオは、“バラの花冠”の意。
ネックレスのように繋げられた59個の珠を順に繰りながら、黙想し、祈るためのものだ。
ときどき、ファッションとして首にかけているひとを見かけるが、本来の意味でいえば、ふさわしくない。


大分前のことだが、四谷の教会で、元サッカー選手のラモスを見かけたことがある。
ミサの時間でもない、ひとけのない聖堂のなかで、彼は、ひとり眼を閉じ、ロザリオの珠を一つずつ繰りながら、祈りを捧げていた。
いったんその場を離れた僕が、30分ほどして戻ってみると、ラモスは、先ほどと同じ姿勢のままで祈っていた。
まるで、聖人のような、彫りの深い横顔が、強く印象に残っている。


S.O.くん。得意技は、癒しの高笑い