2012年7月17日火曜日

ギバチ里帰り



背びれと胸びれには、毒をもつ棘があるので注意
高麗川の巾着田に、なまずを返しに行ってきた

一昨年の初夏、今日と同じこの場所で、振り回していた息子の網の目に、1センチにも満たない、小さなゴミのような魚がへばりついていた。

絶対に自分で世話をみるという息子に、気おされて、もってかえって、調べてみたら、ギバチというナマズの仲間の幼魚だった。

案の定、息子が世話をみたのは、最初のうちだけで、むろん家人がみるわけもなく、自然、餌やりと水替えは私の仕事となる。
昨年の初夏。体長15センチにまで成長した初代を、故郷に返しに高麗川を訪れた帰り際、またしても、息子の網にかかったのは、ギバチの幼魚。
こんどばかりは絶対に世話をみますと、目をうるませながら、兄弟口をそろえるものだから、まぁいいかと、もってかえって、まんまと一昨年とおなじことを繰り返す。

その二代目を、今日、里帰りさせたのだ。

初代の彼は、荒々しく、大胆で、人にもよく慣れて、最後のほうなどは、はしでつまんだ餌にも食いついた。水槽の掃除役にと、とってきた川エビ軍団は、一夜で壊滅した。暴れん坊の彼が、一匹残らず喰ったのだ。

二代目の彼は、臆病で、流木の影に隠れたまま、夜になってもなかなか出てこない。餌を落としても、人が見ているときには、決して口にしない。初代に比べると、食も細いし、体もスリムにみえる。
ナマズも十人十色なんだと感心していたが、ふと、二代目は彼ではなく彼女だったのでは、と思いいたった。

ヤマベやアユが泳ぐ清流、高麗川。「こまがわ」と読む

放流を待つ二代目

今日の高麗川は、人影もまばらで、セミの声がやけに大きく聞こえた。
二代目の彼女を見送ったあと、あまりの暑さに、ゴーグルをつけて、水中の岩にしがみつきながら、ぼぅーっとした。
目前を横切るハヤの群れは、きらきら光って、ほうり投げたナイフのようだ。

息子の網には、ヨシノボリはかかったようだが、今回はとうとうギバチはかからなかった。



で、当たりました。ギバチの恩返しだろうか?
60円の価値。されど心の中で小さくガッツポーズ


2012年4月20日金曜日

ソウル経由、セブ島行き

出発の二日前に、ネットでホテル予約。出発前日にエアチケットをとるという、いつもながらの無計画さで、旅行にでた。
気が付けば、直行便があるにも関わらす、成田発、ソウル経由セブ島行きという、よく分からない行程のなかにいる。


















静かに過ごしたかったので、大型リゾートがひしめく、セブシティ、マクタンを離れ、車で1時間半ほど北東にのぼった、のどかな田舎村にポツンとひとつある、リゾートを選んでみた。


なんてカラフル!

滞在中、地元の教会で、復活祭のミサに参加した。
可愛らしい造りの教会は、いくつもある大きな扉が開け放たれていて、祭壇の前をツバメが飛び交い、犬が歩いていた。
もちろん、誰も追い払ったりしない。
後ろの席では、若いお母さんが、赤ん坊に乳をふくませている。
汗をふきふき、神父様の話を聞いていたら、横から草で編んだうちわが差し出された。






「コンニチハ! オゲンキデスカ?」の声に振り向いたら彼がいた


















彼は、フランス、マルセイユ出身のアドレアヌ(そう聞こえた)。
8歳。
お父さんの仕事で、現在は、上海に住んでいる。
仏語はもちろん、英語は堪能、韓国語、中国語も少し喋れるという。
とにかく、臆することなく、いろいろな人に声をかけていく。年齢、性別、国籍、関係なく。
そして、その話が、見事に面白い。
僕らはすぐに、拾った貝をやりとりする間柄になった。


種々の花々が咲き、鳥たちの声が風になびく。
目の前のビーチも、30mほど泳げば、望外にサンゴが残っていて、シュノーケリングも十分楽しめる。
アレグレ・リゾート・アンド・スパリゾートは、とても静かで、のんびり過ごすと決めた私たちにとって、素晴らしい滞在となった。
食事に期待しないのなら、おすすめです。

2012年2月21日火曜日

ベトナムの床屋できな粉飴をみた

木と塗り壁で囲まれた、居心地がよい店内。こちらは店主
容赦ない陽が降り注ぐ昼下がり。ベトナム郊外の一軒の床屋。

私のすぐ後ろから、追いかけるように入ってきたひとりの男性が、店に入るなり、やおらシャツを脱ぎだした。
その客は、あっというまに、上半身裸、限りなく下着に近い短パン一丁という出で立ちになったとおもうと、手慣れた様子で床屋用の椅子に腰掛けた。常連なのだろう。
彼は、これから起こる何ごとかを心待ちにしているかのように、サンダルばきの足を前後にふりながら、うっすら笑みさえ浮かべている。

この時点で、私の興味は、パンツ一丁のこの客に集中していた。

客を一瞥した、主とおぼしき親爺さんが、店の奥に向かってなにやら叫ぶと、しばらくして、ひょろりと背の高い髭面の男がのっそりと現れた。
怪しい。それもかなり。

痩せ型長身、この職業にあるまじき、延び放題の髭と髪。分厚いメガネをかけ、頭には、登山などで使うヘッドランプを着用している。
「いらっしゃい」とか、客にむかって微笑みかけるとか、そういったサービスは一切抜きだ。
このマッドサイエンティスト風の男は、客と一言二言かわすと、ふかくうなずき、おもむろに、椅子の背もたれを座面と一直線になるまで倒した。いまや、かの客は、パンツ一丁で、仰向けに寝そべっている状態である。
やがて男は、怪しげな針金状の束を取り出し、片目をつぶった。そして、刀匠が刃の鍛え具合をみるかのように、分厚いメガネの下で、開いているほうの目を細め、探るような手つきで、そのなかから、何本かを選び握り締めた。
それから、パンいちさんの脇に腰掛けると、一呼吸おいたあとに、実に厳かな手つきで、始めたのである…
耳かきを。

最近は少なくなったが、日本でも、耳かきをおこなう床屋はある。
しかし、下の写真を見て頂きたい。
行っているサービスは同じだが、見た目のディテールが全く違う。

男は、耳かき棒を時々持ちかえる以外は、肘も腕も身体も顔も1ミリだって動かさない。けれども、耳かき棒をもつ二本の指だけは、絶えず微細に動いている。
彼は、けっして感情を面にださない。そして一言も口をきかずに作業に没頭している。
プロフェッショナル。いやがおうにも、その一言が頭に浮かぶ。

いっぽうのパンいちさんのほうはというと、男に何もかもゆだねていて、まるで夢みる赤ん坊のような表情で、目を閉じ、ときおり、だらしなく微笑んだりしている。

そして、ついに私は目撃することになる。
パンいちさんがパンいちになった理由を。

1,2分後、急に、男の指先の動きが止まった。耳かき棒が、静かに耳穴から抜かれていく。
その瞬間、私は、耳かき棒の先端から目を離すことができなくなった。
耳かき棒の先端に、小ぶりな、きな粉飴のようなものが、突き刺さっていたからである。
不覚にも、それが、パンいちさんの巨大な耳垢だと理解するまでに、1,2秒を要してしまった。

しかし、この出来事を忘れられないものにしたのは、パンいちさんの耳垢の大きさではなく、次に男がとった行動だった。

相変わらず表情をくずさない男は、取り出したきな粉飴を、ごく当然というふうに、上半身裸で寝そべっている、パンいちさんの右乳首の3㎝ほど上あたりに、そっと置いたのだ。
いっぽうの、パンいちさんはというと、仰向けのまま、薄目を開け、自分の裸の胸の上にあるモノを見ると、ぱっと花が咲いたように笑顔をみせた。
まるで、たったいま生まれ出た我が子を、初めて目にした母親のように。

パンいちさんは、このために上半身裸になったのだ。   と思う。

取り出したモノをなぜそこに?ということは、さておき。
傍観しているこちらまで、実にすっきりした心持ちにさせて頂くという、見事な結末をみた私は、パンいちさんは、この店に来るために、少なくとも半年間は、耳掃除を我慢しているに違いないと確信しながら、店を後にした。

ベトナムのディープな話はつきない。

クールに仕事をすすめるベトナム版マッドサイエンティストと、恍惚の表情をみせるパンいちさん。その手際は、米粒に龍の絵を描く中国人のごとし。きな粉飴の写真は、厳か過ぎて撮れなかった。

2012年1月13日金曜日

こそあど言葉の達人になったわけ

目を閉じて、鼻歌歌いながら、ほっこり湯船に浸かっていると、突然風呂場のドアが開き、子機を握りしめた長男がはいってきた。
「パパに電話」

夜の8時。家人は所用で外出中。
顔も手もびしょびしょだし。何しろ至福の時を邪魔されたのが気にいらない。

「20分後にこっちからかけ直すといって」
「わかった」

バスルームを出て行く長男。
やれやれと、鼻歌の続きを歌いだそうとしたとき、再びドアが開いた。

「20分も待てないって。いいから代わってもらえって。男の人で、なんだか怖い」

ここに来て俄然不穏な感じになってきた。携帯ではなく自宅に電話してきたのも、よく考えるとおかしい。
ひょっとして、家人が出先で事故などにあって、警察から電話がかかってきたのかもしれない。そう思い、今度は慌ててタオルで手をふき、受話器を手にとる。

「もしもし、電話代わりました」
「おう、久しぶり。いま近くにいるんだけど…」

受話器の奥から、聞こえてきたのは、
低くて渋い、忘れようもない、懐かしいあの声。

きっかり、10分後、缶チューハイとおつまみ持参で、水中カメラマンの北川さんが来訪。
20年程前に、駆け出しの私に水中写真を教えて下さった大先輩でもある。

とても、ここでは、書ききれない、いや、書きたくても書けない、数々の伝説をもつ北川さんは、30年ちかくにわたり、世界中の海を潜り、クジラからウミウシまで、海の生物を撮影し続けている、泣く子も黙る大御所水中カメラマン。

北川さんと比較すべくもないが、かくなる私も、いまでこそ、すっかり塩水から離れた生活を送っているが、若い頃は、パラオという南国の島で、年間300日くらい海に潜って、水中写真やビデオを撮影していたこともあり、カメラマンとしてのルーツは、水中写真にあるといってもいいかもしれない。

北川さんといって思い出すのは、「こそあど言葉」。
当時、ある職場で一緒に仕事をしていた、私と北さんの間では、こんな具合の会話が、しばしばだった。

北さん 「うー、こみやま。あれ、あれを、ああしといてくれ」
私 「レンズのクリーニングっすね。あとは望遠系を残すのみですよ」

北さん 「うー、あれってどうなってる?」
私 「取材車のガソリンなら、大丈夫っす。昨日満タンにしてありますから」

北さん 「うー、それを、あれに、なんだ、ああしといてくれ」
私 「200㎜レンズも、カメラバッグにいれて、一緒にパッキングしとけばいいんすね」

傍目では、さすがに、これは無理だろという高レベルの難関を、あまりにも軽々とクリアする私に、言った北川さん本人が、「おまえ、よくなんのことだか分かったなぁ」なんて感心する場面もあったりして。
こうしてみると、なんだか、できた嫁さんのようだが。

こそあど言葉で構築された会話は、傍観者にはさっぱり?だが、たえず一緒に行動していると、表情や手振りをみるだけで、相手が何を欲しているのかを、すっと理解できるようになってくるものだ。

そして、これは、会話のままならない、水中でのコミュニケーションにも、かなり役立った。
今考えてみると、言葉の通じない国にいっても、なんとなくコミュニケーションがとれてしまうのも、若い頃、北さんとの会話のなかで、鍛えられ、習得した、この能力のせいかもしれない。いやきっとそうだ。

それにしても、北さんの笑撃的エピソードの数々、公の場でお伝えできないのが、くやしい。

この夜の北川さんも、相変わらずの北さんで、夜更けまで、涙でるほど笑いこけさせて頂きました。

感謝。

「やっぱりあれか、おまえのとこないのか」
「すみません、下戸なもんで、ビール買ってきましょうか」
ほどほどに。北さん

2011年12月2日金曜日

懐かしき“明日に向かって撃て乗り”

手ぶらが好きなので、外出するときは、極力、ポケットだけですますようにしている。最近では、財布ももたず、お札と小銭をポケットにいれて歩いている。どうしても事足りなくなると、背負い型か肩掛け型のカバンを身につける。


所用があり、荷物が多かったこともあり、手持ちの背負い型のなかでも一番大きなものを、引っ張り出して自転車に乗っていたら、同行者に「ハハハ。甲虫みたい。ゼッタイに変だよ」といわれ、写真を撮られた。
自分では、至極まっとうなモノの運びかただと思っていたが、傍目には、ちょっと間抜けなスタイルにみえるのかもしれない。

むろん、世の中は広い。これしきのことで、変だの間抜けだのとガタガタいってはいけない。
上海の街角でみかけた、働くおじさんを見よ。


後ろ姿もど迫力!

ダイナミックにも程がある。
ひたすら感服である。
二回にわけて運ぼう、とか、軽トラを手配しようとか、常人の思いつく、小市民的解決策を、はなっから相手にしない迫力、潔さがここにある。

私は、不覚にも、二度見をしてしまい、あまつさえ写真まで撮ってしまったのだが、まわりの中国人の反応は、まったく薄かった。
心の中で、「日常かよ!」とツッコミをいれてしまった。


ベトナムでは、3メートルはあろうかという、鉄パイプを片手にもちながら、涼しい顔でスクーターに乗る、丹下段平似のおじさんをみかけたことがある。日本なら逮捕されるのではないだろうか?
このときは、「棒高跳びかよ!」とツッコミをいれておいた。


インドネシアの朗らかファミリーです。

ママ以外全部のせ! 原チャリ5人乗り。 もちろん、全員ノーヘル。
自己責任ここに極まれり!

自転車の二人乗りでも、目くじらたてて叱られる日本からすると、信じられないかもしれないが、東南アジアでは、3人4人乗りくらいは当たり前にみかける。
私がみかけた最高記録は、6人だ。一番後ろに座る、お母さんの背中では、首の据わらない赤ちゃんが、スヤスヤと眠っていた。


小学生の頃、自転車の二人乗りで、よくお巡りさんに止められた。
「危ないから二人乗りはやめなさい!」
正直いうと、その頃(いい大人になった今でも)、いったい自転車の二人乗りの、何がそんなに危ないのかが分からなかったので、いくら注意されても、心のなかで舌をだしていた。
私にとって、後輪の上にあるのは、荷台ではなく、タンデムシートだった。

だから、「明日に向かって撃て」のポール・ニューマンが、キャサリン・ロスをハンドルの上に座らせて、二人乗りをするシーンをTVで観た小学生の私は、世の中には、こんな斬新な乗り方もあるのかと、ひとしきり興奮した。
さっそく次の日、級友と真似してみたが、あれは、乗る方も乗せる方も、想像以上に難しかった。

いまやってみたらどうだろうか? やってみたくなった。
つきあってくれる人はいないだろうか?

2011年11月22日火曜日

CUBAはいかがですか?


突然ですが…
次の行く先に、HAVANAはいかがですか?

Moneyという意味では、どうしようもなく貧しいはずのこの街が、ひとが豊かに生きるためのヒントをくれるからです。

少年たちの野球ボールは、紙をテープで丸めたものでした。




おじさんが手にしていたマラカスは、豆の入ったペットボトルでした。
少年のサーフボードは、廃材を切り抜いたものでした。



















それでも、みな満ち足りた顔をしていました。
僕がHAVANAでみたものは、物質やお金に頼らない幸福でした。











そして、それは、物質主義・発展至上主義を頑として拒み続け、これほどの長い年月、権力の座にありながら、誠実であり続けたひとりの革命家の偉大な功績ではないでしょうか。

要するに、フィデル・カストロは正しかったのだと思います。

ぜひ一度、HAVANAへ

2011年11月15日火曜日

ロボコップ VS サンタクロース

日曜の夕方、小学校4年になる次男から電話あり。
自転車が無くなったとのこと。
児童公園に自転車をとめて、友達数人と遊んでいて、しばらくして戻ってみると、自分の自転車だけ無くなっていたという。

子供用の自転車だし、何年も乗っていて、相当なポンコツだから、動産としての価値はないに等しい。誰かがいたずら半分に乗っていったのだろうと見当をつけて、子供が待つ公園へとむかった。

すっかり暗くなった界隈を、友達も一緒に探してくれたみたいだが、結局みつからなかったようで、しょげかえる息子を連れて、近くの交番へ。

対応してくれたのは、若いお巡りさん。
なんとなく表情のみえない、冷たい感じのする彼が、にこりともせずに言う。

「どうします? 被害届け出します?」
「お願いします。」
「届けはどちらが、出します? お父さん?それとも息子さん? 拇印をもらわなければならないので」
「はあ、それでは、私が」
「防犯登録してますか?」

お巡りさんがそう問いかけたとき、ふいに息子が「防犯登録って何?」と耳打ちしてきた。簡単に説明すると、息子は、
「ふーん。サンタさんそんなことするかな? サンタさんって、日本語わからないんじゃないかな」と呟いた。
私は、思わず息子の顔を二度見した。
まさか、小4になる息子が、サンタクロースの存在を信じているとは…。
そういえば、一時期、私は、“どこまでもリアルなサンタクロースのプレゼントの置き方”を、家人に白い眼でみられるほど追求していたことがあったのだ。きっとそのせいに違いない。

「防犯登録はしているのですか?」という、再度の問いかけに我に返り、「はい」と答えると、すかさず息子が、「あれ、ひょっとしてパパが買ったの?」と耳打ちしてきた。

「ああ、そうだよ。パパが買ったんだ。サンタはいない」
そういってもよかったのだが、それが、いま、この交番のなかで、ロボコップのように無愛想なお巡りさんの目の前で、灰色のパイプ椅子に座りながらでなくてもいいのかなと、ぼんやり考えていた。

しかし、あくまで事務的な態度をくずさない、冷徹マシーン、ロボコップは、逡巡している間を与えてはくれなかった。彼が放った一言が、私をさらなる窮地へと追い込む。

「被害額はいくらですか?」
「被害額…?」
「購入されたものですよね。幾らくらいになるか、教えて下さい。記入しますから」
「…」

万事察しのよい息子が、またもはっとして、私の顔をみあげた。
口元を射す息子の視線。
「だいたいで、かまいませんから」
しびれを切らすロボコップ。

結局、私は思いっきりの真顔でこういうしかなかった。
「一万円くらいでしょうか? よくわからないな。何しろサンタクロースにもらったものなんで…」

そういい切ると、ロボコップが、はじめて書類から眼をあげた。そして表情を和らげて微笑んだ。
「ああ、そうでしたか。そうでしょうね」
そういって、もう一度書類に向かった彼は、「もらい物なので、はっきりわからないけど」と呟きながら、『一万円くらい』と記入していた。

すっかり暗くなった家路を辿るなか、息子は少しほっとした様子だった。
少なくとも、家に帰ったとたん、小6になる長男が放った「ばっかじゃないの。サンタがキディランドの包み紙でプレゼント配るか?」という衝撃の一言を聞くまでは…

その夜、息子の級友から、神社の前で、自転車を見つけたという電話がはいった。