「パパに電話」
夜の8時。家人は所用で外出中。
顔も手もびしょびしょだし。何しろ至福の時を邪魔されたのが気にいらない。
「20分後にこっちからかけ直すといって」
「わかった」
バスルームを出て行く長男。
やれやれと、鼻歌の続きを歌いだそうとしたとき、再びドアが開いた。
「20分も待てないって。いいから代わってもらえって。男の人で、なんだか怖い」
ここに来て俄然不穏な感じになってきた。携帯ではなく自宅に電話してきたのも、よく考えるとおかしい。
ひょっとして、家人が出先で事故などにあって、警察から電話がかかってきたのかもしれない。そう思い、今度は慌ててタオルで手をふき、受話器を手にとる。
「もしもし、電話代わりました」
「おう、久しぶり。いま近くにいるんだけど…」
受話器の奥から、聞こえてきたのは、
低くて渋い、忘れようもない、懐かしいあの声。
きっかり、10分後、缶チューハイとおつまみ持参で、水中カメラマンの北川さんが来訪。
20年程前に、駆け出しの私に水中写真を教えて下さった大先輩でもある。
とても、ここでは、書ききれない、いや、書きたくても書けない、数々の伝説をもつ北川さんは、30年ちかくにわたり、世界中の海を潜り、クジラからウミウシまで、海の生物を撮影し続けている、泣く子も黙る大御所水中カメラマン。
北川さんと比較すべくもないが、かくなる私も、いまでこそ、すっかり塩水から離れた生活を送っているが、若い頃は、パラオという南国の島で、年間300日くらい海に潜って、水中写真やビデオを撮影していたこともあり、カメラマンとしてのルーツは、水中写真にあるといってもいいかもしれない。
北川さんといって思い出すのは、「こそあど言葉」。
当時、ある職場で一緒に仕事をしていた、私と北さんの間では、こんな具合の会話が、しばしばだった。
北さん 「うー、こみやま。あれ、あれを、ああしといてくれ」
私 「レンズのクリーニングっすね。あとは望遠系を残すのみですよ」
北さん 「うー、あれってどうなってる?」
私 「取材車のガソリンなら、大丈夫っす。昨日満タンにしてありますから」
北さん 「うー、それを、あれに、なんだ、ああしといてくれ」
私 「200㎜レンズも、カメラバッグにいれて、一緒にパッキングしとけばいいんすね」
傍目では、さすがに、これは無理だろという高レベルの難関を、あまりにも軽々とクリアする私に、言った北川さん本人が、「おまえ、よくなんのことだか分かったなぁ」なんて感心する場面もあったりして。
こうしてみると、なんだか、できた嫁さんのようだが。
こそあど言葉で構築された会話は、傍観者にはさっぱり?だが、たえず一緒に行動していると、表情や手振りをみるだけで、相手が何を欲しているのかを、すっと理解できるようになってくるものだ。
そして、これは、会話のままならない、水中でのコミュニケーションにも、かなり役立った。
今考えてみると、言葉の通じない国にいっても、なんとなくコミュニケーションがとれてしまうのも、若い頃、北さんとの会話のなかで、鍛えられ、習得した、この能力のせいかもしれない。いやきっとそうだ。
それにしても、北さんの笑撃的エピソードの数々、公の場でお伝えできないのが、くやしい。
この夜の北川さんも、相変わらずの北さんで、夜更けまで、涙でるほど笑いこけさせて頂きました。
感謝。
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「やっぱりあれか、おまえのとこないのか」 「すみません、下戸なもんで、ビール買ってきましょうか」 ほどほどに。北さん |
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