2013年5月3日金曜日

ムルティプラ、レフナースへ




















車を4度目の車検にだした。
いつもの通りレフナースに。
品川区荏原にある、この小さな整備工場は、中山さんがすべてひとりでやっている。

中山さんは、いつでも、ひとりで黙々と作業している。私は、他のお客さんに会ったことが一度もない。
では、はやっていないのかというと、そんなことは全然ない。
高い天井の下、オイルの匂いが満ちた、不思議なほの暗さの工場内には、巷ではなかなか見ることができない名車、珍車がぎっしりと並び、静かに整備を待っている。そのほとんどが、フランス車、イタリア車である。旧い車が多い。

今回も、日本に何台あるんだろうというアルピーヌが、同時に3台も入庫していた。傍らには、アメリカから個人輸入されてきたという、おそらく60年代のものであろう真っ白なアルファロメオのコンバーチブルも、整備を待っている。
このアルファは本当に美しく、しばし見惚れてしまった。この年代の欧州車には品があった。

車を趣味として考えていた頃は、正規ディーラーから、名の知れたショップまで、さまざまなところを利用した。どこも一長一短。まあ、面倒くさい思いもそれなりにしてきた。
それが、中山さんに出会って以来、ここひとすじ。 他を利用しようなんて気は、これっぽっちもおこらなくなった。私にとって、群をぬいて信頼できるショップなのだ。

中山さんの整備は、「安い」、「早い」、「上手い」に「誠実」が加わっている。
車を甘やかさない的確な整備で、しかも、工賃が実に良心的だ。

中山さんは、広告もうたないし、HPももっていない。
一度、HPをつくってもらったのだそうだが、忙しくなり過ぎそうになったので、すぐやめたそうだ。
「忙しくなり過ぎた」のではなく、「忙しくなり過ぎそうになった」というところが、実に中山さんらしい。
それでいいのだそうで、お客さんの紹介で、車がはいってくるのが、なにより嬉しいと、いつもののんびりとした口調でいっていた。

ちょっと旧いフランス車、イタリア車に乗っている方には、手放しでお奨めしたいショップだ。


さて、その車検を通した私の車は、フィアットのムルティプラ。数年前に生産終了し、後継車もない。イタリア本国では、タクシーや商用車としても使われている。

4mという短い全長に、1.9m近い全幅をもつ、異形の車だ。
4mの全長は、MINIのクロスオーバーより短いし、1.9mの全幅は、ベンツのSクラスよりも広い。とてもユニークなディメンション。
発表当時物議をかもした、でこっぱち顔は、本国でも不評だったらしく、マイナーチェンジの折りに、しごくまっとうな好青年顔になってしまった。
最大の特徴は、前列に3人掛けできることだろう。広い全幅は、そのためだ。前列3人、後列3人の6人定員になる。
ちなみに、シフトはマニュアルしか用意されていない。

想像以上に楽しい前列三人掛け
新車で購入して以来、4度目の車検なので、気がつけば都合9年乗ったことになる。
これほど長く乗り続けた車はかつてない。
さほど実感がないが、愛着が深いということなのかもしれないし、あるいは、替える車が見当たらないということなのかもしれない。
前席3人掛け、広大な室内空間、バスのような見晴らしのよさ、などは、この車がもつ他に替えがたい魅力だ。
奇抜なデザインに目がいきがちだが、実際に日常的に使ってみると、実用上、非常に真面目に作られていることがわかる。
速い車ではないが、決して運転が退屈にならないところも、イタリア車のDNAを受け継いでいる。

エクステリアも異形なら、インテリアもおかしなことになっている。
このデザインがそのまま、生産ラインにのってしまったことに、素直に驚く。描いたデザイナー本人もびっくりしたんじゃないだろうか? 
「え、このままでOKなんすか?」なんて。
よくぞダメ出しをしてくれなかったと、当時のフィアットのお偉方をハグしたいくらいだ。

それでは、以下、インテリアに散見される、顔、顔、顔をどうぞ。


エアコンの送風口は確信犯。猿と呼んでます

前席ドア。オープナーは、おばけのベロにしか見えない


こちらは後席ドアの顔。
ちなみに、前後席ともサイドウィンドウは、
ガラス面積が巨大過ぎて全開にできない。

ステレオはカエル。下あごは灰皿





2013年2月9日土曜日

そば屋で敗北。さらばトラビクルバンド

トラビクルバンド。先日無事卒業。
医療器具感丸出しのこの意匠は、なんとかならなかったのかと
見るたびに思う
昨年の11月、右鎖骨と左親指を同時に骨折した。
骨折当初は、右手は胸のあたりまでしかあがらず、左手の親指もぶっくり腫れていて、動かすことができなかった。

鎖骨というのは、骨のなかでもことさら折れやすく、そのくせ、いったん折れると、きれいに繋がりにくい、いささかやっかいな骨なんだそうだ。
折れる場所や折れ方によっては、手術しなければいけないのだが、私の場合は、比較的きれいにぽっきりいっていたので、主治医の判断で、トラビクルバンドでの固定ということになった。

このバンド、ひとことでいうと、ものすごくきつい「たすき掛け」。
装着し、ベルトで締め上げると、終始強制的に胸張り姿勢が保たれ、鎖骨が一直線になり、そのまま、数ヶ月おとなしくしていれば、はれて骨がつながるというわけだ。
鎖骨骨折に猫背はNG。ちなみにひとりでは、はずすことはできても、装着はできません。

閑話休題、鎖骨の語源説。
昔中国で、囚人の鎖骨に鎖を通してつないでおいたことからきたそう。考えるだけで痛そうだが、眉唾だと思う。

ともかく、このバンド、入浴時以外は、寝るときもずっと着用しなくてはならない。寝返りがうてないのが、これほどつらいものだということをはじめて知って驚いた。

幸運だったのは、バンド着用の季節が冬だったこと。肌着のうえにバンドを着用し、セーターなりジャケットなりを着込んでしまえば、外からは、無粋なたすき掛けをしていることに、全く気付かれることがない。
(なんて胸を張るひとなんだ、とは思われたかもしれない)
左親指の添え木は、靴ひもひとつ結べず不便で、捨ててしまっていたので、一見全くの健常者だ。
会う人も、事情を知らなければ、こちらが骨折していることなどわからない。実際は、右手は、胸のあたりまでしかあがらず、左手の親指も、うまく動かないのだが。


骨折してまもない頃、そば屋のカウンターに座って、かけそばを待っていた。
いざ、湯気をたてたそばがでてきて、さあ食べようかと割りばしを割ってから、はじめて気付いた。
まぁ、そばが食えない。
最初右手で挑戦してみたが、まず箸の先が口へと届かない。そばをつかんだ右手のほうへ、大きくお辞儀をするように頭のほうを近づけ、首をのばしてのばして、口先をのばすと、なんとか届く。届くのだが、この食べ方、獣がえさを食っているようで、かなりの怪しさだ。
私はすぐに、左手で食べる作戦に切り替えた。左手なら難なく口元までもっていけるから。

ところが、もともと右利きだし、親指は動かせないしで、はしをもつ左手が、尋常じゃなくぎこちない。なんだか、自分の手ではないような気がする。
まず、箸でそばをつかむまでが一苦労。
四苦八苦して、ようやく2、3本つかみ、震える手で口元までもっていけたかと思うと、とたんに、そばはつるんとすべり、ちゃぽんという音とともに、悲しく椀の中に戻ってしまう。
ここにいたり、どうして、よりによってそば屋にはいっちまったんだろう、せめてカレー屋だろうと思ったが、あとの祭りである。
唇を噛みしめ、もう一度試みるが、悲しい結果が繰り返されるばかり。

まるで、二人羽織をしているかのごとく、しばらく我を忘れてかけそばと孤軍奮闘していると、隣に座っていた若い女性が、慈愛にみちた表情で、しかし、意を決したように私にむかってひとこと

"May I Help You?"

だよね。
生まれて初めて箸使ってる外国人にみえるよね。

"Yes, Please"といったら、何をしてくれたんだろう?と考えながら、なんとかそばを食い切った私は、敗れた感じで店をあとにした。

あのとき声をかけてくれた方、あなたの気持ちが嬉しかった。有り難う。


2012年9月10日月曜日

巨岩と花びら



芸術家が、作品をつくりだすとき、彼は主観のかたまりになり、その主観的思想を、天賦の才をもって、一気呵成に楽譜やキャンバスに投げつけるのだと思っている。
その瞬間は、構成や技巧といった、理性が担当するものから解き放たれるのだろう。
優れた芸術家というのは、たいてい、主観のほうにウエイトがあり過ぎるために、事象を客観しにくいのではないかと、凡人の私は想像する。 
情熱と理性がバランスがとれている頭からは、桁外れの傑作というものはできないのかもしれない。

しかし、こと随筆のような論理性も要する文章となると、書き手の「客観」を抜きにはうまくいかない。
だから、天才といわれる芸術家本人の書いた文章は、難解だったり、退屈に感じるものが多いようだ。
そして、何にでも例外はある。




とてもよい本を読んだ。
巡りあったことに感謝する一冊だ。
「舟越保武全随筆集 巨岩と花びら ほか」。
戦後日本を代表する彫刻家 舟越保武さんの名随筆集。

舟越さんは、折々、自分の外に、批評家のようなもうひとりの自分があって、事象を客観する。石を削る瞬間の自分の心象をも客観できる。
ひょっとしたら、彫刻というものが、そうしないとできないものなのかもしれないが、実際のところ私にはわからない。

この本のなかで、私たちは、優しく静かで、強くて弱い、才能ある芸術家が、穏やかな日々のなか、あるいは波乱のなか、何をどうみて何を感じたかを聞くことができる。
凡人の極みである私は、感嘆し、勇気づけられ、ハッパをかけられ、そしてほっと温かな気持ちになる。
何しろ、舟越さんをきっと好きになる。私はなりました。

希有な芸術家の意識と心に触れられる一冊。文も美しい。お勧めです。

2012年8月24日金曜日

Speedtriple


Triumph社は、100年以上続く老舗バイクメーカー

ロックとスポーツカーはイギリスの名産だだそうだけど、もうひとつ言えば、是非そこにスポーツバイクもつけ加えたい。
英国には、Triumphという由緒正しい老舗バイクメーカーがある。

ローマ字で“Triumph”とググると、真っ先に女性用下着メーカーのサイトがでてきて、うっかりクリックなんかしたところを見られたりすると、若干ややこしいことになる。

しかし、あちらは、トリンプ。バイクメーカーのほうは、スペルは同じだが、“トライアンフ”と読む。
私のバイクは、3気筒というバイクとしては珍しいエンジンのつくりから由来する“スピードトリプル”という名がついている。

ごつごつしたむき出しのエンジンに直接またがり、巨大なトルクで一瞬のうちに風景を後ろに飛び去らせるリッターバイク特有の乗り味には、確かに4輪では味わえない刺激がある。

イタリアのスポーツカーやスポーツバイクは、フェラーリにしろ、ドカッティにしろ、エレガントなハンサムが多い。みるものを否応なく振り向かせようというデザインで、出会うたびに感心する。「格好いいだろう」と車やバイクが言っている。まちがいなく日向者だ。
たいして、イギリスのそれは、TVRやオースチンヒーレー、トライアンフなどをみても、どこか野暮ったく、たいていの場合、陰気なユーモアを内在させている。陰と陽でいえば、陰である。オーラが、外に発散しないで、内にこもっている。

スピードトリプルも例外ではない。
それでは、格好悪いかと言われれば、捨ておけない迫力があり、また、どこかユーモラスで、そのあたりがじ、好ましく思える。
破綻のない美しさも見る分にはよいが、エレガントだなんてちょっと気恥ずかしい。

洗練からは遠い、粗削りな3気筒エンジンの鼓動感が、
バイク本来の魅力を味合わせてくれる























スピードトリプルは、去年モデルチェンジを果たし、少しだけハンサム路線にむかってみたようだ。
これがまた、こなれてないデザインで、微笑ましい。

すこし前のことだが、久しぶりに、バイクをプロショップに整備にだした。
戸塚にあるワイドオープンというお店だ。
坂井さんという職人肌のメカニックが、何もかもひとりで作業をしている。
そして、その作業が、繊細で丁寧、かつ、ねちっこくdeepで、大変信頼できる。
本来、このモデルにはつかないはずのMarchesiniのマグを装着してもらったりと、かなりの無理をきいてもらった。
初めてお願いしたのだが、正解だった。
若干費用はかかるし、何しろ一人ですべての作業を行っているので、時間もかかるが、仕上がりは、納得できるものだ。
確実に体感できる整備メニューもあり、バイクのリフレッシュを考えているひとにお勧めできる。

ペダルは、こっそりイタリア製に換えてしまった

2012年7月17日火曜日

ギバチ里帰り



背びれと胸びれには、毒をもつ棘があるので注意
高麗川の巾着田に、なまずを返しに行ってきた。

一昨年の初夏、今日と同じこの場所で、振り回していた息子の網の目に、1センチにも満たない、小さなゴミのような魚がへばりついていた。

絶対に自分で世話をみるという息子に、気おされて、もってかえって、調べてみたら、ギバチというナマズの仲間の幼魚だった。

案の定、息子が世話をみたのは、最初のうちだけで、むろん家人がみるわけもなく、自然、餌やりと水替えは私の仕事となる。
昨年の初夏。体長15センチにまで成長した初代を、故郷に返しに高麗川を訪れた帰り際、またしても、息子の網にかかったのは、ギバチの幼魚。
こんどばかりは絶対に世話をみますと、目をうるませながら、兄弟口をそろえるものだから、まぁいいかと、もってかえって、まんまと一昨年とおなじことを繰り返す。

その二代目を、今日、里帰りさせたのだ。

初代の彼は、荒々しく、大胆で、人にもよく慣れて、最後のほうなどは、はしでつまんだ餌にも食いついた。水槽の掃除役にと、とってきた川エビ軍団は、一夜で壊滅した。暴れん坊の彼が、一匹残らず喰ったのだ。

二代目の彼は、臆病で、流木の影に隠れたまま、夜になってもなかなか出てこない。餌を落としても、人が見ているときには、決して口にしない。初代に比べると、食も細いし、体もスリムにみえる。
ナマズも十人十色なんだと感心していたが、ふと、二代目は彼ではなく彼女だったのでは、と思いいたった。

ヤマベやアユが泳ぐ清流、高麗川。「こまがわ」と読む

放流を待つ二代目

今日の高麗川は、人影もまばらで、セミの声がやけに大きく聞こえた。
二代目の彼女を見送ったあと、あまりの暑さに、ゴーグルをつけて、水中の岩にしがみつきながら、ぼぅーっとした。
目前を横切るハヤの群れは、きらきら光って、ほうり投げたナイフのようだ。

息子の網には、ヨシノボリはかかったようだが、今回はとうとうギバチはかからなかった。



で、当たりました。ギバチの恩返しだろうか?
60円の価値。されど心の中で小さくガッツポーズ


2012年4月20日金曜日

ソウル経由、セブ島行き

出発の二日前に、ネットでホテル予約。出発前日にエアチケットをとるという、いつもながらの無計画さで、旅行にでた。
気が付けば、直行便があるにも関わらす、成田発、ソウル経由セブ島行きという、よく分からない行程のなかにいる。


















静かに過ごしたかったので、大型リゾートがひしめく、セブシティ、マクタンを離れ、車で1時間半ほど北東にのぼった、のどかな田舎村にポツンとひとつある、リゾートを選んでみた。


なんてカラフル!

滞在中、地元の教会で、復活祭のミサに参加した。
可愛らしい造りの教会は、いくつもある大きな扉が開け放たれていて、祭壇の前をツバメが飛び交い、犬が歩いていた。
もちろん、誰も追い払ったりしない。
後ろの席では、若いお母さんが、赤ん坊に乳をふくませている。
汗をふきふき、神父様の話を聞いていたら、横から草で編んだうちわが差し出された。






「コンニチハ! オゲンキデスカ?」の声に振り向いたら彼がいた


















彼は、フランス、マルセイユ出身のアドレアヌ(そう聞こえた)。
8歳。
お父さんの仕事で、現在は、上海に住んでいる。
仏語はもちろん、英語は堪能、韓国語、中国語も少し喋れるという。
とにかく、臆することなく、いろいろな人に声をかけていく。年齢、性別、国籍、関係なく。
そして、その話が、見事に面白い。
僕らはすぐに、拾った貝をやりとりする間柄になった。


種々の花々が咲き、鳥たちの声が風になびく。
目の前のビーチも、30mほど泳げば、望外にサンゴが残っていて、シュノーケリングも十分楽しめる。
アレグレ・リゾート・アンド・スパリゾートは、とても静かで、のんびり過ごすと決めた私たちにとって、素晴らしい滞在となった。
食事に期待しないのなら、おすすめです。

2012年2月21日火曜日

ベトナムの床屋できな粉飴をみた

木と塗り壁で囲まれた、居心地がよい店内。こちらは店主
容赦ない陽が降り注ぐ昼下がり。ベトナム郊外の一軒の床屋。

私のすぐ後ろから、追いかけるように入ってきたひとりの男性が、店に入るなり、やおらシャツを脱ぎだした。
その客は、あっというまに、上半身裸、限りなく下着に近い短パン一丁という出で立ちになったとおもうと、手慣れた様子で床屋用の椅子に腰掛けた。常連なのだろう。
彼は、これから起こる何ごとかを心待ちにしているかのように、サンダルばきの足を前後にふりながら、うっすら笑みさえ浮かべている。

この時点で、私の興味は、パンツ一丁のこの客に集中していた。

客を一瞥した、主とおぼしき親爺さんが、店の奥に向かってなにやら叫ぶと、しばらくして、ひょろりと背の高い髭面の男がのっそりと現れた。
怪しい。それもかなり。

痩せ型長身、この職業にあるまじき、延び放題の髭と髪。分厚いメガネをかけ、頭には、登山などで使うヘッドランプを着用している。
「いらっしゃい」とか、客にむかって微笑みかけるとか、そういったサービスは一切抜きだ。
このマッドサイエンティスト風の男は、客と一言二言かわすと、ふかくうなずき、おもむろに、椅子の背もたれを座面と一直線になるまで倒した。いまや、かの客は、パンツ一丁で、仰向けに寝そべっている状態である。
やがて男は、怪しげな針金状の束を取り出し、片目をつぶった。そして、刀匠が刃の鍛え具合をみるかのように、分厚いメガネの下で、開いているほうの目を細め、探るような手つきで、そのなかから、何本かを選び握り締めた。
それから、パンいちさんの脇に腰掛けると、一呼吸おいたあとに、実に厳かな手つきで、始めたのである…
耳かきを。

最近は少なくなったが、日本でも、耳かきをおこなう床屋はある。
しかし、下の写真を見て頂きたい。
行っているサービスは同じだが、見た目のディテールが全く違う。

男は、耳かき棒を時々持ちかえる以外は、肘も腕も身体も顔も1ミリだって動かさない。けれども、耳かき棒をもつ二本の指だけは、絶えず微細に動いている。
彼は、けっして感情を面にださない。そして一言も口をきかずに作業に没頭している。
プロフェッショナル。いやがおうにも、その一言が頭に浮かぶ。

いっぽうのパンいちさんのほうはというと、男に何もかもゆだねていて、まるで夢みる赤ん坊のような表情で、目を閉じ、ときおり、だらしなく微笑んだりしている。

そして、ついに私は目撃することになる。
パンいちさんがパンいちになった理由を。

1,2分後、急に、男の指先の動きが止まった。耳かき棒が、静かに耳穴から抜かれていく。
その瞬間、私は、耳かき棒の先端から目を離すことができなくなった。
耳かき棒の先端に、小ぶりな、きな粉飴のようなものが、突き刺さっていたからである。
不覚にも、それが、パンいちさんの巨大な耳垢だと理解するまでに、1,2秒を要してしまった。

しかし、この出来事を忘れられないものにしたのは、パンいちさんの耳垢の大きさではなく、次に男がとった行動だった。

相変わらず表情をくずさない男は、取り出したきな粉飴を、ごく当然というふうに、上半身裸で寝そべっている、パンいちさんの右乳首の3㎝ほど上あたりに、そっと置いたのだ。
いっぽうの、パンいちさんはというと、仰向けのまま、薄目を開け、自分の裸の胸の上にあるモノを見ると、ぱっと花が咲いたように笑顔をみせた。
まるで、たったいま生まれ出た我が子を、初めて目にした母親のように。

パンいちさんは、このために上半身裸になったのだ。   と思う。

取り出したモノをなぜそこに?ということは、さておき。
傍観しているこちらまで、実にすっきりした心持ちにさせて頂くという、見事な結末をみた私は、パンいちさんは、この店に来るために、少なくとも半年間は、耳掃除を我慢しているに違いないと確信しながら、店を後にした。

ベトナムのディープな話はつきない。

クールに仕事をすすめるベトナム版マッドサイエンティストと、恍惚の表情をみせるパンいちさん。その手際は、米粒に龍の絵を描く中国人のごとし。きな粉飴の写真は、厳か過ぎて撮れなかった。

2012年1月13日金曜日

こそあど言葉の達人になったわけ

目を閉じて、鼻歌歌いながら、ほっこり湯船に浸かっていると、突然風呂場のドアが開き、子機を握りしめた長男がはいってきた。
「パパに電話」

夜の8時。家人は所用で外出中。
顔も手もびしょびしょだし。何しろ至福の時を邪魔されたのが気にいらない。

「20分後にこっちからかけ直すといって」
「わかった」

バスルームを出て行く長男。
やれやれと、鼻歌の続きを歌いだそうとしたとき、再びドアが開いた。

「20分も待てないって。いいから代わってもらえって。男の人で、なんだか怖い」

ここに来て俄然不穏な感じになってきた。携帯ではなく自宅に電話してきたのも、よく考えるとおかしい。
ひょっとして、家人が出先で事故などにあって、警察から電話がかかってきたのかもしれない。そう思い、今度は慌ててタオルで手をふき、受話器を手にとる。

「もしもし、電話代わりました」
「おう、久しぶり。いま近くにいるんだけど…」

受話器の奥から、聞こえてきたのは、
低くて渋い、忘れようもない、懐かしいあの声。

きっかり、10分後、缶チューハイとおつまみ持参で、水中カメラマンの北川さんが来訪。
20年程前に、駆け出しの私に水中写真を教えて下さった大先輩でもある。

とても、ここでは、書ききれない、いや、書きたくても書けない、数々の伝説をもつ北川さんは、30年ちかくにわたり、世界中の海を潜り、クジラからウミウシまで、海の生物を撮影し続けている、泣く子も黙る大御所水中カメラマン。

北川さんと比較すべくもないが、かくなる私も、いまでこそ、すっかり塩水から離れた生活を送っているが、若い頃は、パラオという南国の島で、年間300日くらい海に潜って、水中写真やビデオを撮影していたこともあり、カメラマンとしてのルーツは、水中写真にあるといってもいいかもしれない。

北川さんといって思い出すのは、「こそあど言葉」。
当時、ある職場で一緒に仕事をしていた、私と北さんの間では、こんな具合の会話が、しばしばだった。

北さん 「うー、こみやま。あれ、あれを、ああしといてくれ」
私 「レンズのクリーニングっすね。あとは望遠系を残すのみですよ」

北さん 「うー、あれってどうなってる?」
私 「取材車のガソリンなら、大丈夫っす。昨日満タンにしてありますから」

北さん 「うー、それを、あれに、なんだ、ああしといてくれ」
私 「200㎜レンズも、カメラバッグにいれて、一緒にパッキングしとけばいいんすね」

傍目では、さすがに、これは無理だろという高レベルの難関を、あまりにも軽々とクリアする私に、言った北川さん本人が、「おまえ、よくなんのことだか分かったなぁ」なんて感心する場面もあったりして。
こうしてみると、なんだか、できた嫁さんのようだが。

こそあど言葉で構築された会話は、傍観者にはさっぱり?だが、たえず一緒に行動していると、表情や手振りをみるだけで、相手が何を欲しているのかを、すっと理解できるようになってくるものだ。

そして、これは、会話のままならない、水中でのコミュニケーションにも、かなり役立った。
今考えてみると、言葉の通じない国にいっても、なんとなくコミュニケーションがとれてしまうのも、若い頃、北さんとの会話のなかで、鍛えられ、習得した、この能力のせいかもしれない。いやきっとそうだ。

それにしても、北さんの笑撃的エピソードの数々、公の場でお伝えできないのが、くやしい。

この夜の北川さんも、相変わらずの北さんで、夜更けまで、涙でるほど笑いこけさせて頂きました。

感謝。

「やっぱりあれか、おまえのとこないのか」
「すみません、下戸なもんで、ビール買ってきましょうか」
ほどほどに。北さん

2011年12月2日金曜日

懐かしき“明日に向かって撃て乗り”

手ぶらが好きなので、外出するときは、極力、ポケットだけですますようにしている。最近では、財布ももたず、お札と小銭をポケットにいれて歩いている。どうしても事足りなくなると、背負い型か肩掛け型のカバンを身につける。


所用があり、荷物が多かったこともあり、手持ちの背負い型のなかでも一番大きなものを、引っ張り出して自転車に乗っていたら、同行者に「ハハハ。甲虫みたい。ゼッタイに変だよ」といわれ、写真を撮られた。
自分では、至極まっとうなモノの運びかただと思っていたが、傍目には、ちょっと間抜けなスタイルにみえるのかもしれない。

むろん、世の中は広い。これしきのことで、変だの間抜けだのとガタガタいってはいけない。
上海の街角でみかけた、働くおじさんを見よ。


後ろ姿もど迫力!

ダイナミックにも程がある。
ひたすら感服である。
二回にわけて運ぼう、とか、軽トラを手配しようとか、常人の思いつく、小市民的解決策を、はなっから相手にしない迫力、潔さがここにある。

私は、不覚にも、二度見をしてしまい、あまつさえ写真まで撮ってしまったのだが、まわりの中国人の反応は、まったく薄かった。
心の中で、「日常かよ!」とツッコミをいれてしまった。


ベトナムでは、3メートルはあろうかという、鉄パイプを片手にもちながら、涼しい顔でスクーターに乗る、丹下段平似のおじさんをみかけたことがある。日本なら逮捕されるのではないだろうか?
このときは、「棒高跳びかよ!」とツッコミをいれておいた。


インドネシアの朗らかファミリーです。

ママ以外全部のせ! 原チャリ5人乗り。 もちろん、全員ノーヘル。
自己責任ここに極まれり!

自転車の二人乗りでも、目くじらたてて叱られる日本からすると、信じられないかもしれないが、東南アジアでは、3人4人乗りくらいは当たり前にみかける。
私がみかけた最高記録は、6人だ。一番後ろに座る、お母さんの背中では、首の据わらない赤ちゃんが、スヤスヤと眠っていた。


小学生の頃、自転車の二人乗りで、よくお巡りさんに止められた。
「危ないから二人乗りはやめなさい!」
正直いうと、その頃(いい大人になった今でも)、いったい自転車の二人乗りの、何がそんなに危ないのかが分からなかったので、いくら注意されても、心のなかで舌をだしていた。
私にとって、後輪の上にあるのは、荷台ではなく、タンデムシートだった。

だから、「明日に向かって撃て」のポール・ニューマンが、キャサリン・ロスをハンドルの上に座らせて、二人乗りをするシーンをTVで観た小学生の私は、世の中には、こんな斬新な乗り方もあるのかと、ひとしきり興奮した。
さっそく次の日、級友と真似してみたが、あれは、乗る方も乗せる方も、想像以上に難しかった。

いまやってみたらどうだろうか? やってみたくなった。
つきあってくれる人はいないだろうか?

2011年11月22日火曜日

CUBAはいかがですか?


突然ですが…
次の行く先に、HAVANAはいかがですか?

Moneyという意味では、どうしようもなく貧しいはずのこの街が、ひとが豊かに生きるためのヒントをくれるからです。

少年たちの野球ボールは、紙をテープで丸めたものでした。




おじさんが手にしていたマラカスは、豆の入ったペットボトルでした。
少年のサーフボードは、廃材を切り抜いたものでした。



















それでも、みな満ち足りた顔をしていました。
僕がHAVANAでみたものは、物質やお金に頼らない幸福でした。











そして、それは、物質主義・発展至上主義を頑として拒み続け、これほどの長い年月、権力の座にありながら、誠実であり続けたひとりの革命家の偉大な功績ではないでしょうか。

要するに、フィデル・カストロは正しかったのだと思います。

ぜひ一度、HAVANAへ

2011年11月15日火曜日

ロボコップ VS サンタクロース

日曜の夕方、小学校4年になる次男から電話あり。
自転車が無くなったとのこと。
児童公園に自転車をとめて、友達数人と遊んでいて、しばらくして戻ってみると、自分の自転車だけ無くなっていたという。

子供用の自転車だし、何年も乗っていて、相当なポンコツだから、動産としての価値はないに等しい。誰かがいたずら半分に乗っていったのだろうと見当をつけて、子供が待つ公園へとむかった。

すっかり暗くなった界隈を、友達も一緒に探してくれたみたいだが、結局みつからなかったようで、しょげかえる息子を連れて、近くの交番へ。

対応してくれたのは、若いお巡りさん。
なんとなく表情のみえない、冷たい感じのする彼が、にこりともせずに言う。

「どうします? 被害届け出します?」
「お願いします。」
「届けはどちらが、出します? お父さん?それとも息子さん? 拇印をもらわなければならないので」
「はあ、それでは、私が」
「防犯登録してますか?」

お巡りさんがそう問いかけたとき、ふいに息子が「防犯登録って何?」と耳打ちしてきた。簡単に説明すると、息子は、
「ふーん。サンタさんそんなことするかな? サンタさんって、日本語わからないんじゃないかな」と呟いた。
私は、思わず息子の顔を二度見した。
まさか、小4になる息子が、サンタクロースの存在を信じているとは…。
そういえば、一時期、私は、“どこまでもリアルなサンタクロースのプレゼントの置き方”を、家人に白い眼でみられるほど追求していたことがあったのだ。きっとそのせいに違いない。

「防犯登録はしているのですか?」という、再度の問いかけに我に返り、「はい」と答えると、すかさず息子が、「あれ、ひょっとしてパパが買ったの?」と耳打ちしてきた。

「ああ、そうだよ。パパが買ったんだ。サンタはいない」
そういってもよかったのだが、それが、いま、この交番のなかで、ロボコップのように無愛想なお巡りさんの目の前で、灰色のパイプ椅子に座りながらでなくてもいいのかなと、ぼんやり考えていた。

しかし、あくまで事務的な態度をくずさない、冷徹マシーン、ロボコップは、逡巡している間を与えてはくれなかった。彼が放った一言が、私をさらなる窮地へと追い込む。

「被害額はいくらですか?」
「被害額…?」
「購入されたものですよね。幾らくらいになるか、教えて下さい。記入しますから」
「…」

万事察しのよい息子が、またもはっとして、私の顔をみあげた。
口元を射す息子の視線。
「だいたいで、かまいませんから」
しびれを切らすロボコップ。

結局、私は思いっきりの真顔でこういうしかなかった。
「一万円くらいでしょうか? よくわからないな。何しろサンタクロースにもらったものなんで…」

そういい切ると、ロボコップが、はじめて書類から眼をあげた。そして表情を和らげて微笑んだ。
「ああ、そうでしたか。そうでしょうね」
そういって、もう一度書類に向かった彼は、「もらい物なので、はっきりわからないけど」と呟きながら、『一万円くらい』と記入していた。

すっかり暗くなった家路を辿るなか、息子は少しほっとした様子だった。
少なくとも、家に帰ったとたん、小6になる長男が放った「ばっかじゃないの。サンタがキディランドの包み紙でプレゼント配るか?」という衝撃の一言を聞くまでは…

その夜、息子の級友から、神社の前で、自転車を見つけたという電話がはいった。

2011年11月11日金曜日

晩秋の虫たち

蜜の吸いようのない、しおれた花にとまっていたモンシロチョウ





















屋上に鉢植えのルリマツリがある。
プルンバーゴとも呼ばれる、アフリカ原産のこの植物は、成長力旺盛で、陽光を浴びながら、わさわさと繁っていく。半ツル性で、横方向にも広がっていくので、隣のジャスミンがちょっと迷惑そうだ。

密度の濃い、鮮やかな緑のなかで、水色のきりりとした五弁花が、赤ちゃんの握りこぶしほどかたまって、あちこちに咲く様子を見ていると、「陽気」「健全」「逞しい」という言葉が浮かんでくる。若々しい母親のような、見るひとの気持ちを明るくする花だ。

初夏から晩秋まで、途切れることなく次々に咲きほこり、楽しませてくれるルリマツリだが、さすがに、この時季ともなると、花も終わりだ。

そんな最後の花に、モンシロチョウがとまっていた。
早朝の青い光のなかで、かろやかに花弁に脚をつけている。
近づいても、微動だにしない。蜜を吸っている様子もない。
なんとなく、天寿の全うを、静かに待っているようにみえる。
その姿が美しい。

ルリマツリの花のように、モンシロチョウも、春から秋にかけて2ヶ月ほどの寿命を繰り返す。
蝶であるのは2週間ほどで、その間に交尾をし、卵をうみ、死ぬ。
晩秋にさなぎになったものは、さなぎのまま冬を越す。来春、一番で舞う蝶は、さなぎで冬を越したものたちだ。

先日の君なのか?
シマトネリコを剪定しているとき見つけたカマキリは、おなかがぽってりふくらんでいて、明らかに卵をもっていた。その時は、切り落とした枝葉に混ぜて、捨ててしまうといけないので、屋上に避難させた。

この朝、屋上で見かけたカマキリは、随分すっきりスマートになっていた。あの時のカマキリだとしたら、どこかで卵を産んだのだろう。
彼女も、役目を終え、暫くの人生を楽しんでいるのだ。

2011年11月7日月曜日

シマトネリコ Before After

剪定前のシマトネリコ。この状態が奥の方まで続いている
半年ぶりにシマトネリコを剪定した。
3年ほど前に、2mほどの株立ちを7株、植えたものだ。
その成長の速いこと、ジャックと豆の木のごとし。
日当たりのよくない隣地との細長い隙間に植えたこともあってか、光を求め、貪欲に上へ上へと伸びていき、3年足らずで屋上に届くほどにまで、大きくなった。
ご覧の通りの、もっさもさ具合である。

もっさもさを目指して、様々な鳥たちがやってくる。スズメ、ヒヨドリ、ウグイス、メジロ、シジュウカラ、ムクドリ…。

一時、一羽のヒヨドリが、この木をねぐらに決めたらしく、夕方になると、決まって同じ枝にとまり、朝までぐっすり眠っていくようになった。
2階の窓からは、ほんの50㎝足らず、手をのばせば届くほど目の前である。
夜更けなど、あんまりぐっすり眠っているので、そーっと手をのばして、つかまえたい衝動に何度もかられた。
大人なのでやめておいたが。

夏になると、いつのまにか、丸々太ったアオムシでいっぱいになる。
これは、まず地面に落ちているブツで分かる。
最初は、ごま粒くらいの黒いものがパラパラとしているだけだ。
しかし、これは序章に過ぎない。
ほうっておくと、ごま粒はやがて、BB弾ほどになり、最終的にはフリスクになる。
フリスクを排出するほどのヤツともなると、本体は、大人の中指ほどもあり、もうこの大きさともなると、sharpens you up!ムシ卒業ハチュウルイに分類!と宣言したくなる。
普通なら駆除するのだろうが、ここまで葉が繁りまくると、ムシャムシャと旺盛に葉を食い散らすアオムシたちも、眼を細めてみてられるようになる。
最近では、「ここじゃなくて、このあたりを頼む」と、アオムシを見つけるたび、葉が繁りすぎている箇所に、移動させたりしていた。

そうこうするうち、結局ある日、ばっさりやることになる。
ここ2年ほど、年二回、早春と晩秋に剪定をするのが行事となっている。素人仕事なうえ、ひとりでやるものだから、時間がかかる。今回は、結局、のべ二日、最終日は、朝9時から夕方4時までかかった。
  
After。手の届かないところは、窓から身を乗り出し、
傘の持ち手を枝や幹にひっかけて、たぐり寄せながら、切っていく。
これがまた、このうえなく楽しい。
どれくらい、楽しいかというと…
朝9時からはじめて、夕方4時まで、家人に声をかけられなければ、昼食をとるのも忘れていたほどである。
昼食のぶっかけうどんを、わざわざ外へ運ばせ、地べたにあぐらをかいて、木を眺めながらすすったほどである。
「ぜったい植木屋さんに弟子入りしてやるぜ!」と心のなかで叫んだほどである。

何がそれほど楽しいか。本気で剪定してみればわかる。
この爽快感。ストレス解消、集中力養成に最高。
お勧めです。

2011年11月4日金曜日

芸術家の姿勢

男も惚れる破天荒な天才グールド

大好きな音楽家に、グレン・グールドがいる。言わずと知れた、天才ピアニストだ。

彼の奏でる音には、世俗を一切排した純粋さがあり、深く、それでいて、情熱的であり、僕たちの精神を、あらゆる束縛から解放してくれる。
天上の音楽だと思う。

彼は、父親が作った、極端に足の短い折りたたみ椅子を、生涯持ち歩き、演奏に使っていた。映像でみたグールドは、小さな椅子に長身の身体を折り曲げ、ピアノにぶら下がるような奇妙な姿勢で、鍵盤に鼻先をつけ、身体をゆさぶり、ハミングしながら、震えるほど美しいバッハを弾いていた。

演奏家ではないが、同じような創作風景をみたことがある。 
棟方志功だ。
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、彫刻刀を握りしめた彼が、版木に鼻先をつけて、鼻歌を歌いながら、蝦蟇のように這いつくばって彫りすすむ姿は、鬼気迫るものだった。
 
ところが、ともすると滑稽にさえみえる彼らの姿が、不思議なことに、僕には、いささかも醜くいものにみえなかった。いままさに、その手先から、息をのむような芸術が生み出されようとしているからだろうか。

富成清女さん

邦楽演奏会の撮影に行った。
富成清女さんの文化芸術祭参加公演。
ここ数年、秋のリサイタルと、春のお弟子さん達の発表会の写真を撮らせて頂いている。 

富成さんは、背筋をぴしりと伸ばして、朗朗と地唄を吟ずる。三味線の演奏時など、手先と口元以外は、ほとんど動かない。
正座姿といい、見事な着物といい、お琴の音といい、ああいいな、日本だなと思う。
富成さんの演奏姿はいつみても、若々しく格好いい。 

三曲(地唄三味線、箏、鼓弓)は、カンツォーネの国イタリア人や、サンバの国ブラジル人が聞いたら、腰を抜かすほど地味でおとなしく、禁欲的にさえ聞こえるだろう。
しかし、実は、抑揚を抑えた静のなかに、ときおり、熱いものが垣間見える曲も多いのだ。
ダイレクトに感情を表現するのではなく、音間や声の微妙な調子で、それを醸し出させるのは、日本人ならではの表現法だろう。
この特有の奥ゆかしさは、芸能のみならず、文学、料理、造園、武芸にいたるまで、日本古来の文化に通じるものだ。 

邦楽発表会で、ファインダーを覗いていて、気づいたことがある。
こと邦楽に限っていえば、上手い奏者は、おしなべて姿勢がよいのではないかということだ。素人の僕に、演奏の上手下手が、どの程度わかるのかということはさておき、やはり、ぴしりと背筋を伸ばしている人のほうが、綺麗な音を奏でるような気がしている。 

世の中は広いから、お行儀が悪いなどという周囲の干渉をモノともせず、グールドばりに、お琴の弦に鼻先をこすりつけるように演奏するツワモノ的名手がいるかもしれない。それはそれで格好いいかもしれない。

2011年11月1日火曜日

S.O.君の来訪とロザリオのラモス

頂いたロザリオとメダイ。聖ベネディクトのメダイは魔除けのお守りだ。
S.O.くんは、家族の人数分もってきてくれた。



















後輩のS.O.君が、久しぶりの来訪。

彼とは、同じ中・高校に籍をおき、その後、偶然にも同じ大学に入学。社会に出てからは、彼は書くほう、僕は撮るほうに進んだが、二人ともカトリック信者であるなど、不思議に共通項が多い。

パリ留学の経験があり、フランス語が堪能な彼は、朴訥だが、品のある話術で、いつだって僕を楽しませてくれる。

フランス旅行帰りの、彼からの土産は、モンサンミシェルで求めてくれた、聖ベネディクトのメダイとロザリオ。

ロザリオは、“バラの花冠”の意。
ネックレスのように繋げられた59個の珠を順に繰りながら、黙想し、祈るためのものだ。
ときどき、ファッションとして首にかけているひとを見かけるが、本来の意味でいえば、ふさわしくない。


大分前のことだが、四谷の教会で、元サッカー選手のラモスを見かけたことがある。
ミサの時間でもない、ひとけのない聖堂のなかで、彼は、ひとり眼を閉じ、ロザリオの珠を一つずつ繰りながら、祈りを捧げていた。
いったんその場を離れた僕が、30分ほどして戻ってみると、ラモスは、先ほどと同じ姿勢のままで祈っていた。
まるで、聖人のような、彫りの深い横顔が、強く印象に残っている。


S.O.くん。得意技は、癒しの高笑い

2011年10月30日日曜日

Olympus PEN+Nokton25㎜

優等生なZuiko Digital ED 12㎜ とPEN
マイクロフォーサーズ規格のカメラとレンズを入手した。
オリンパスの大ヒット、ミラーレス一眼、PEN E-P3とZuiko Digital ED 12㎜ F2.0。勢いあまって、コシナのNokton25㎜F0.95も。

オリンパスといえば、一連の騒動で、なにやら不穏な空気が漂っているが、製品自体の魅力に傷がつくわけではない。

実際に使ってみると、コンパクトなサイズには、フルサイズ一眼にくらべ、どこにでももっていきたいと思わせる点で、大きなアドバンテージがあることを、改めて実感。

まさにカメラ界のスニーカー。散歩や旅先のお供にぴったり。
たすき掛けして、自転車で鬼コギしても全然苦にならないし。

レンズの印象は…
Zuiko ED 12㎜は、高い解像度と真面目な描写に好感。
優秀なレンズであることは間違いないけれど、ともすると、冗談をいわない優等生みたいだ。正論一点張りの精緻な描写を見ていると、おい、ゲーセン(古い!)行こうぜと声をかけたくなる。
フォーカスリングをスライドさせて、瞬時にAF/MFの切り替えができるアイデアは、素晴らしい。

いっぽうNokton25㎜のほうは、真っ黒な筐体、ずしりと手に来る重さ、マニュアルフォーカスオンリーという潔さで、はなっから、女子供を寄せつけない。
際だっているのは、開放F値0.95!!という明るさ。人間の眼は、F値に換算すると1.0ほどというから、ヒトの眼よりも明るいという、なんだか生意気なレンズだ。

噂のちょい悪レンズ。MFオンリーなうえ、解放時の
ピントがシビアなので、ビューファインダーは必須
しかし、ひとたび、人物や花などを撮らせると、はっとするような艶めかしさを醸しだす。
特に、開放近辺の危ういほどの柔らかな描写、独特の空気感は、他に代え難いものがある。

決して万人向けではないけれど、只者ではないこのレンズ、とても気に入っている。


こんな、思い切った製品を世にだす英断を下した、コシナの誰かさん、えらい!と世の片隅から、こっそりエールを送っている。

そんなわけで、今のところ、散歩のお供には、圧倒的にNokton25㎜の出番が多い。

2011年10月26日水曜日

KLATTERMUSEN

バックパックでこのカラーリング。グーです
早朝の公園で、北欧のバックパック“KLATTERMUSEN”の撮影。

クレッタルムーセン…
初めて耳にしたときは、どこかの国の偉い建築家か? はたまた、クリーミーでアツアツの本格的北欧料理なのか? なんて色々想像してしまったが、実は、スウェーデンのアウトドアギアブランドの名前だ。
ブランドネームの本当の意味は、“山ネズミ”。
お洒落な三角定規だろ、と思っていた、ブルーのロゴが、ネズミの顔をモチーフにしたものだと知り、嘘だろと呟く。

ネズミの顔に見えますか?

本格的なアルピニストにも支持されているバッグは、びっくりするほど快適な背負い心地。
それでいて、機能一点張りというわけでなく、カラーリングや素材、留め金ひとつとっても、丁寧にデザインされていて、格好いい。鮮やかなイエローグリーンが美しいバックパックなどは、山ガールのハートをビシビシ射止めるはず、と勝手に想像する。

モデルは、ハヤトくん。長身、痩身、サンドイッチ二人前をぺろりとたいらげる、笑顔が素敵なナイスガイ。バンドで、ギターとボーカルやってるなんて。出てきたおなかをへこませようと、ちょっとジョギングしたら、歩くたびに膝からポクポクおかしな音が出るようになった僕とは、隔絶の感がある。
若人の輝ける未来に完敗。ではなく乾杯。


Thank You!  ハヤトくん