2013年5月3日金曜日

ムルティプラ、レフナースへ




















車を4度目の車検にだした。
いつもの通りレフナースに。
品川区荏原にある、この小さな整備工場は、中山さんがすべてひとりでやっている。

中山さんは、いつでも、ひとりで黙々と作業している。私は、他のお客さんに会ったことが一度もない。
では、はやっていないのかというと、そんなことは全然ない。
高い天井の下、オイルの匂いが満ちた、不思議なほの暗さの工場内には、巷ではなかなか見ることができない名車、珍車がぎっしりと並び、静かに整備を待っている。そのほとんどが、フランス車、イタリア車である。旧い車が多い。

今回も、日本に何台あるんだろうというアルピーヌが、同時に3台も入庫していた。傍らには、アメリカから個人輸入されてきたという、おそらく60年代のものであろう真っ白なアルファロメオのコンバーチブルも、整備を待っている。
このアルファは本当に美しく、しばし見惚れてしまった。この年代の欧州車には品があった。

車を趣味として考えていた頃は、正規ディーラーから、名の知れたショップまで、さまざまなところを利用した。どこも一長一短。まあ、面倒くさい思いもそれなりにしてきた。
それが、中山さんに出会って以来、ここひとすじ。 他を利用しようなんて気は、これっぽっちもおこらなくなった。私にとって、群をぬいて信頼できるショップなのだ。

中山さんの整備は、「安い」、「早い」、「上手い」に「誠実」が加わっている。
車を甘やかさない的確な整備で、しかも、工賃が実に良心的だ。

中山さんは、広告もうたないし、HPももっていない。
一度、HPをつくってもらったのだそうだが、忙しくなり過ぎそうになったので、すぐやめたそうだ。
「忙しくなり過ぎた」のではなく、「忙しくなり過ぎそうになった」というところが、実に中山さんらしい。
それでいいのだそうで、お客さんの紹介で、車がはいってくるのが、なにより嬉しいと、いつもののんびりとした口調でいっていた。

ちょっと旧いフランス車、イタリア車に乗っている方には、手放しでお奨めしたいショップだ。


さて、その車検を通した私の車は、フィアットのムルティプラ。数年前に生産終了し、後継車もない。イタリア本国では、タクシーや商用車としても使われている。

4mという短い全長に、1.9m近い全幅をもつ、異形の車だ。
4mの全長は、MINIのクロスオーバーより短いし、1.9mの全幅は、ベンツのSクラスよりも広い。とてもユニークなディメンション。
発表当時物議をかもした、でこっぱち顔は、本国でも不評だったらしく、マイナーチェンジの折りに、しごくまっとうな好青年顔になってしまった。
最大の特徴は、前列に3人掛けできることだろう。広い全幅は、そのためだ。前列3人、後列3人の6人定員になる。
ちなみに、シフトはマニュアルしか用意されていない。

想像以上に楽しい前列三人掛け
新車で購入して以来、4度目の車検なので、気がつけば都合9年乗ったことになる。
これほど長く乗り続けた車はかつてない。
さほど実感がないが、愛着が深いということなのかもしれないし、あるいは、替える車が見当たらないということなのかもしれない。
前席3人掛け、広大な室内空間、バスのような見晴らしのよさ、などは、この車がもつ他に替えがたい魅力だ。
奇抜なデザインに目がいきがちだが、実際に日常的に使ってみると、実用上、非常に真面目に作られていることがわかる。
速い車ではないが、決して運転が退屈にならないところも、イタリア車のDNAを受け継いでいる。

エクステリアも異形なら、インテリアもおかしなことになっている。
このデザインがそのまま、生産ラインにのってしまったことに、素直に驚く。描いたデザイナー本人もびっくりしたんじゃないだろうか? 
「え、このままでOKなんすか?」なんて。
よくぞダメ出しをしてくれなかったと、当時のフィアットのお偉方をハグしたいくらいだ。

それでは、以下、インテリアに散見される、顔、顔、顔をどうぞ。


エアコンの送風口は確信犯。猿と呼んでます

前席ドア。オープナーは、おばけのベロにしか見えない


こちらは後席ドアの顔。
ちなみに、前後席ともサイドウィンドウは、
ガラス面積が巨大過ぎて全開にできない。

ステレオはカエル。下あごは灰皿





2013年2月9日土曜日

そば屋で敗北。さらばトラビクルバンド

トラビクルバンド。先日無事卒業。
医療器具感丸出しのこの意匠は、なんとかならなかったのかと
見るたびに思う
昨年の11月、右鎖骨と左親指を同時に骨折した。
骨折当初は、右手は胸のあたりまでしかあがらず、左手の親指もぶっくり腫れていて、動かすことができなかった。

鎖骨というのは、骨のなかでもことさら折れやすく、そのくせ、いったん折れると、きれいに繋がりにくい、いささかやっかいな骨なんだそうだ。
折れる場所や折れ方によっては、手術しなければいけないのだが、私の場合は、比較的きれいにぽっきりいっていたので、主治医の判断で、トラビクルバンドでの固定ということになった。

このバンド、ひとことでいうと、ものすごくきつい「たすき掛け」。
装着し、ベルトで締め上げると、終始強制的に胸張り姿勢が保たれ、鎖骨が一直線になり、そのまま、数ヶ月おとなしくしていれば、はれて骨がつながるというわけだ。
鎖骨骨折に猫背はNG。ちなみにひとりでは、はずすことはできても、装着はできません。

閑話休題、鎖骨の語源説。
昔中国で、囚人の鎖骨に鎖を通してつないでおいたことからきたそう。考えるだけで痛そうだが、眉唾だと思う。

ともかく、このバンド、入浴時以外は、寝るときもずっと着用しなくてはならない。寝返りがうてないのが、これほどつらいものだということをはじめて知って驚いた。

幸運だったのは、バンド着用の季節が冬だったこと。肌着のうえにバンドを着用し、セーターなりジャケットなりを着込んでしまえば、外からは、無粋なたすき掛けをしていることに、全く気付かれることがない。
(なんて胸を張るひとなんだ、とは思われたかもしれない)
左親指の添え木は、靴ひもひとつ結べず不便で、捨ててしまっていたので、一見全くの健常者だ。
会う人も、事情を知らなければ、こちらが骨折していることなどわからない。実際は、右手は、胸のあたりまでしかあがらず、左手の親指も、うまく動かないのだが。


骨折してまもない頃、そば屋のカウンターに座って、かけそばを待っていた。
いざ、湯気をたてたそばがでてきて、さあ食べようかと割りばしを割ってから、はじめて気付いた。
まぁ、そばが食えない。
最初右手で挑戦してみたが、まず箸の先が口へと届かない。そばをつかんだ右手のほうへ、大きくお辞儀をするように頭のほうを近づけ、首をのばしてのばして、口先をのばすと、なんとか届く。届くのだが、この食べ方、獣がえさを食っているようで、かなりの怪しさだ。
私はすぐに、左手で食べる作戦に切り替えた。左手なら難なく口元までもっていけるから。

ところが、もともと右利きだし、親指は動かせないしで、はしをもつ左手が、尋常じゃなくぎこちない。なんだか、自分の手ではないような気がする。
まず、箸でそばをつかむまでが一苦労。
四苦八苦して、ようやく2、3本つかみ、震える手で口元までもっていけたかと思うと、とたんに、そばはつるんとすべり、ちゃぽんという音とともに、悲しく椀の中に戻ってしまう。
ここにいたり、どうして、よりによってそば屋にはいっちまったんだろう、せめてカレー屋だろうと思ったが、あとの祭りである。
唇を噛みしめ、もう一度試みるが、悲しい結果が繰り返されるばかり。

まるで、二人羽織をしているかのごとく、しばらく我を忘れてかけそばと孤軍奮闘していると、隣に座っていた若い女性が、慈愛にみちた表情で、しかし、意を決したように私にむかってひとこと

"May I Help You?"

だよね。
生まれて初めて箸使ってる外国人にみえるよね。

"Yes, Please"といったら、何をしてくれたんだろう?と考えながら、なんとかそばを食い切った私は、敗れた感じで店をあとにした。

あのとき声をかけてくれた方、あなたの気持ちが嬉しかった。有り難う。


2012年9月10日月曜日

巨岩と花びら



芸術家が、作品をつくりだすとき、彼は主観のかたまりになり、その主観的思想を、天賦の才をもって、一気呵成に楽譜やキャンバスに投げつけるのだと思っている。
その瞬間は、構成や技巧といった、理性が担当するものから解き放たれるのだろう。
優れた芸術家というのは、たいてい、主観のほうにウエイトがあり過ぎるために、事象を客観しにくいのではないかと、凡人の私は想像する。 
情熱と理性がバランスがとれている頭からは、桁外れの傑作というものはできないのかもしれない。

しかし、こと随筆のような論理性も要する文章となると、書き手の「客観」を抜きにはうまくいかない。
だから、天才といわれる芸術家本人の書いた文章は、難解だったり、退屈に感じるものが多いようだ。
そして、何にでも例外はある。




とてもよい本を読んだ。
巡りあったことに感謝する一冊だ。
「舟越保武全随筆集 巨岩と花びら ほか」。
戦後日本を代表する彫刻家 舟越保武さんの名随筆集。

舟越さんは、折々、自分の外に、批評家のようなもうひとりの自分があって、事象を客観する。石を削る瞬間の自分の心象をも客観できる。
ひょっとしたら、彫刻というものが、そうしないとできないものなのかもしれないが、実際のところ私にはわからない。

この本のなかで、私たちは、優しく静かで、強くて弱い、才能ある芸術家が、穏やかな日々のなか、あるいは波乱のなか、何をどうみて何を感じたかを聞くことができる。
凡人の極みである私は、感嘆し、勇気づけられ、ハッパをかけられ、そしてほっと温かな気持ちになる。
何しろ、舟越さんをきっと好きになる。私はなりました。

希有な芸術家の意識と心に触れられる一冊。文も美しい。お勧めです。

2012年8月24日金曜日

Speedtriple


Triumph社は、100年以上続く老舗バイクメーカー

ロックとスポーツカーはイギリスの名産だだそうだけど、もうひとつ言えば、是非そこにスポーツバイクもつけ加えたい。
英国には、Triumphという由緒正しい老舗バイクメーカーがある。

ローマ字で“Triumph”とググると、真っ先に女性用下着メーカーのサイトがでてきて、うっかりクリックなんかしたところを見られたりすると、若干ややこしいことになる。

しかし、あちらは、トリンプ。バイクメーカーのほうは、スペルは同じだが、トライアンフ”と読む。
私のバイクは、3気筒というバイクとしては珍しいエンジンのつくりから由来するスピードトリプル”という名がついている。

ごつごつしたむき出しのエンジンに直接またがり、巨大なトルクで一瞬のうちに風景を後ろに飛び去らせるリッターバイク特有の乗り味には、確かに4輪では味わえない刺激がある。

イタリアのスポーツカーやスポーツバイクは、フェラーリにしろ、ドカッティにしろ、エレガントなハンサムが多い。みるものを否応なく振り向かせようというデザインで、出会うたびに感心する。格好いいだろう」と車やバイクが言っている。まちがいなく日向者だ。
たいして、イギリスのそれは、TVRやオースチンヒーレー、トライアンフなどをみても、どこか野暮ったく、たいていの場合、陰気なユーモアを内在させている。陰と陽でいえば、陰である。オーラが、外に発散しないで、内にこもっている。

スピードトリプルも例外ではない。
それでは、格好悪いかと言われれば、捨ておけない迫力があり、また、どこかユーモラスで、そのあたりがじ、好ましく思える。
破綻のない美しさも見る分にはよいが、エレガントだなんてちょっと気恥ずかしい。

洗練からは遠い、粗削りな3気筒エンジンの鼓動感が、
バイク本来の魅力を味合わせてくれる























スピードトリプルは、去年モデルチェンジを果たし、少しだけハンサム路線にむかってみたようだ。
これがまた、こなれてないデザインで、微笑ましい。

すこし前のことだが、久しぶりに、バイクをプロショップに整備にだした。
戸塚にあるワイドオープンというお店だ。
坂井さんという職人肌のメカニックが、何もかもひとりで作業をしている。
そして、その作業が、繊細で丁寧、かつ、ねちっこくdeepで、大変信頼できる。
本来、このモデルにはつかないはずのMarchesiniのマグを装着してもらったりと、かなりの無理をきいてもらった。
初めてお願いしたのだが、正解だった。
若干費用はかかるし、何しろ一人ですべての作業を行っているので、時間もかかるが、仕上がりは、納得できるものだ。
確実に体感できる整備メニューもあり、バイクのリフレッシュを考えているひとにお勧めできる。

ペダルは、こっそりイタリア製に換えてしまった

2012年7月17日火曜日

ギバチ里帰り



背びれと胸びれには、毒をもつ棘があるので注意
高麗川の巾着田に、なまずを返しに行ってきた

一昨年の初夏、今日と同じこの場所で、振り回していた息子の網の目に、1センチにも満たない、小さなゴミのような魚がへばりついていた。

絶対に自分で世話をみるという息子に、気おされて、もってかえって、調べてみたら、ギバチというナマズの仲間の幼魚だった。

案の定、息子が世話をみたのは、最初のうちだけで、むろん家人がみるわけもなく、自然、餌やりと水替えは私の仕事となる。
昨年の初夏。体長15センチにまで成長した初代を、故郷に返しに高麗川を訪れた帰り際、またしても、息子の網にかかったのは、ギバチの幼魚。
こんどばかりは絶対に世話をみますと、目をうるませながら、兄弟口をそろえるものだから、まぁいいかと、もってかえって、まんまと一昨年とおなじことを繰り返す。

その二代目を、今日、里帰りさせたのだ。

初代の彼は、荒々しく、大胆で、人にもよく慣れて、最後のほうなどは、はしでつまんだ餌にも食いついた。水槽の掃除役にと、とってきた川エビ軍団は、一夜で壊滅した。暴れん坊の彼が、一匹残らず喰ったのだ。

二代目の彼は、臆病で、流木の影に隠れたまま、夜になってもなかなか出てこない。餌を落としても、人が見ているときには、決して口にしない。初代に比べると、食も細いし、体もスリムにみえる。
ナマズも十人十色なんだと感心していたが、ふと、二代目は彼ではなく彼女だったのでは、と思いいたった。

ヤマベやアユが泳ぐ清流、高麗川。「こまがわ」と読む

放流を待つ二代目

今日の高麗川は、人影もまばらで、セミの声がやけに大きく聞こえた。
二代目の彼女を見送ったあと、あまりの暑さに、ゴーグルをつけて、水中の岩にしがみつきながら、ぼぅーっとした。
目前を横切るハヤの群れは、きらきら光って、ほうり投げたナイフのようだ。

息子の網には、ヨシノボリはかかったようだが、今回はとうとうギバチはかからなかった。



で、当たりました。ギバチの恩返しだろうか?
60円の価値。されど心の中で小さくガッツポーズ


2012年4月20日金曜日

ソウル経由、セブ島行き

出発の二日前に、ネットでホテル予約。出発前日にエアチケットをとるという、いつもながらの無計画さで、旅行にでた。
気が付けば、直行便があるにも関わらす、成田発、ソウル経由セブ島行きという、よく分からない行程のなかにいる。


















静かに過ごしたかったので、大型リゾートがひしめく、セブシティ、マクタンを離れ、車で1時間半ほど北東にのぼった、のどかな田舎村にポツンとひとつある、リゾートを選んでみた。


なんてカラフル!

滞在中、地元の教会で、復活祭のミサに参加した。
可愛らしい造りの教会は、いくつもある大きな扉が開け放たれていて、祭壇の前をツバメが飛び交い、犬が歩いていた。
もちろん、誰も追い払ったりしない。
後ろの席では、若いお母さんが、赤ん坊に乳をふくませている。
汗をふきふき、神父様の話を聞いていたら、横から草で編んだうちわが差し出された。






「コンニチハ! オゲンキデスカ?」の声に振り向いたら彼がいた


















彼は、フランス、マルセイユ出身のアドレアヌ(そう聞こえた)。
8歳。
お父さんの仕事で、現在は、上海に住んでいる。
仏語はもちろん、英語は堪能、韓国語、中国語も少し喋れるという。
とにかく、臆することなく、いろいろな人に声をかけていく。年齢、性別、国籍、関係なく。
そして、その話が、見事に面白い。
僕らはすぐに、拾った貝をやりとりする間柄になった。


種々の花々が咲き、鳥たちの声が風になびく。
目の前のビーチも、30mほど泳げば、望外にサンゴが残っていて、シュノーケリングも十分楽しめる。
アレグレ・リゾート・アンド・スパリゾートは、とても静かで、のんびり過ごすと決めた私たちにとって、素晴らしい滞在となった。
食事に期待しないのなら、おすすめです。

2012年2月21日火曜日

ベトナムの床屋できな粉飴をみた

木と塗り壁で囲まれた、居心地がよい店内。こちらは店主
容赦ない陽が降り注ぐ昼下がり。ベトナム郊外の一軒の床屋。

私のすぐ後ろから、追いかけるように入ってきたひとりの男性が、店に入るなり、やおらシャツを脱ぎだした。
その客は、あっというまに、上半身裸、限りなく下着に近い短パン一丁という出で立ちになったとおもうと、手慣れた様子で床屋用の椅子に腰掛けた。常連なのだろう。
彼は、これから起こる何ごとかを心待ちにしているかのように、サンダルばきの足を前後にふりながら、うっすら笑みさえ浮かべている。

この時点で、私の興味は、パンツ一丁のこの客に集中していた。

客を一瞥した、主とおぼしき親爺さんが、店の奥に向かってなにやら叫ぶと、しばらくして、ひょろりと背の高い髭面の男がのっそりと現れた。
怪しい。それもかなり。

痩せ型長身、この職業にあるまじき、延び放題の髭と髪。分厚いメガネをかけ、頭には、登山などで使うヘッドランプを着用している。
「いらっしゃい」とか、客にむかって微笑みかけるとか、そういったサービスは一切抜きだ。
このマッドサイエンティスト風の男は、客と一言二言かわすと、ふかくうなずき、おもむろに、椅子の背もたれを座面と一直線になるまで倒した。いまや、かの客は、パンツ一丁で、仰向けに寝そべっている状態である。
やがて男は、怪しげな針金状の束を取り出し、片目をつぶった。そして、刀匠が刃の鍛え具合をみるかのように、分厚いメガネの下で、開いているほうの目を細め、探るような手つきで、そのなかから、何本かを選び握り締めた。
それから、パンいちさんの脇に腰掛けると、一呼吸おいたあとに、実に厳かな手つきで、始めたのである…
耳かきを。

最近は少なくなったが、日本でも、耳かきをおこなう床屋はある。
しかし、下の写真を見て頂きたい。
行っているサービスは同じだが、見た目のディテールが全く違う。

男は、耳かき棒を時々持ちかえる以外は、肘も腕も身体も顔も1ミリだって動かさない。けれども、耳かき棒をもつ二本の指だけは、絶えず微細に動いている。
彼は、けっして感情を面にださない。そして一言も口をきかずに作業に没頭している。
プロフェッショナル。いやがおうにも、その一言が頭に浮かぶ。

いっぽうのパンいちさんのほうはというと、男に何もかもゆだねていて、まるで夢みる赤ん坊のような表情で、目を閉じ、ときおり、だらしなく微笑んだりしている。

そして、ついに私は目撃することになる。
パンいちさんがパンいちになった理由を。

1,2分後、急に、男の指先の動きが止まった。耳かき棒が、静かに耳穴から抜かれていく。
その瞬間、私は、耳かき棒の先端から目を離すことができなくなった。
耳かき棒の先端に、小ぶりな、きな粉飴のようなものが、突き刺さっていたからである。
不覚にも、それが、パンいちさんの巨大な耳垢だと理解するまでに、1,2秒を要してしまった。

しかし、この出来事を忘れられないものにしたのは、パンいちさんの耳垢の大きさではなく、次に男がとった行動だった。

相変わらず表情をくずさない男は、取り出したきな粉飴を、ごく当然というふうに、上半身裸で寝そべっている、パンいちさんの右乳首の3㎝ほど上あたりに、そっと置いたのだ。
いっぽうの、パンいちさんはというと、仰向けのまま、薄目を開け、自分の裸の胸の上にあるモノを見ると、ぱっと花が咲いたように笑顔をみせた。
まるで、たったいま生まれ出た我が子を、初めて目にした母親のように。

パンいちさんは、このために上半身裸になったのだ。   と思う。

取り出したモノをなぜそこに?ということは、さておき。
傍観しているこちらまで、実にすっきりした心持ちにさせて頂くという、見事な結末をみた私は、パンいちさんは、この店に来るために、少なくとも半年間は、耳掃除を我慢しているに違いないと確信しながら、店を後にした。

ベトナムのディープな話はつきない。

クールに仕事をすすめるベトナム版マッドサイエンティストと、恍惚の表情をみせるパンいちさん。その手際は、米粒に龍の絵を描く中国人のごとし。きな粉飴の写真は、厳か過ぎて撮れなかった。