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トラビクルバンド。先日無事卒業。 医療器具感丸出しのこの意匠は、なんとかならなかったのかと 見るたびに思う |
骨折当初は、右手は胸のあたりまでしかあがらず、左手の親指もぶっくり腫れていて、動かすことができなかった。
鎖骨というのは、骨のなかでもことさら折れやすく、そのくせ、いったん折れると、きれいに繋がりにくい、いささかやっかいな骨なんだそうだ。
折れる場所や折れ方によっては、手術しなければいけないのだが、私の場合は、比較的きれいにぽっきりいっていたので、主治医の判断で、トラビクルバンドでの固定ということになった。
このバンド、ひとことでいうと、ものすごくきつい「たすき掛け」。
装着し、ベルトで締め上げると、終始強制的に胸張り姿勢が保たれ、鎖骨が一直線になり、そのまま、数ヶ月おとなしくしていれば、はれて骨がつながるというわけだ。
鎖骨骨折に猫背はNG。ちなみにひとりでは、はずすことはできても、装着はできません。
閑話休題、鎖骨の語源説。
昔中国で、囚人の鎖骨に鎖を通してつないでおいたことからきたそう。考えるだけで痛そうだが、眉唾だと思う。
ともかく、このバンド、入浴時以外は、寝るときもずっと着用しなくてはならない。寝返りがうてないのが、これほどつらいものだということをはじめて知って驚いた。
幸運だったのは、バンド着用の季節が冬だったこと。肌着のうえにバンドを着用し、セーターなりジャケットなりを着込んでしまえば、外からは、無粋なたすき掛けをしていることに、全く気付かれることがない。
(なんて胸を張るひとなんだ、とは思われたかもしれない)
(なんて胸を張るひとなんだ、とは思われたかもしれない)
左親指の添え木は、靴ひもひとつ結べず不便で、捨ててしまっていたので、一見全くの健常者だ。
会う人も、事情を知らなければ、こちらが骨折していることなどわからない。実際は、右手は、胸のあたりまでしかあがらず、左手の親指も、うまく動かないのだが。
骨折してまもない頃、そば屋のカウンターに座って、かけそばを待っていた。
いざ、湯気をたてたそばがでてきて、さあ食べようかと割りばしを割ってから、はじめて気付いた。
まぁ、そばが食えない。
まぁ、そばが食えない。
最初右手で挑戦してみたが、まず箸の先が口へと届かない。そばをつかんだ右手のほうへ、大きくお辞儀をするように頭のほうを近づけ、首をのばしてのばして、口先をのばすと、なんとか届く。届くのだが、この食べ方、獣がえさを食っているようで、かなりの怪しさだ。
私はすぐに、左手で食べる作戦に切り替えた。左手なら難なく口元までもっていけるから。
ところが、もともと右利きだし、親指は動かせないしで、はしをもつ左手が、尋常じゃなくぎこちない。なんだか、自分の手ではないような気がする。
まず、箸でそばをつかむまでが一苦労。
四苦八苦して、ようやく2、3本つかみ、震える手で口元までもっていけたかと思うと、とたんに、そばはつるんとすべり、ちゃぽんという音とともに、悲しく椀の中に戻ってしまう。
ここにいたり、どうして、よりによってそば屋にはいっちまったんだろう、せめてカレー屋だろうと思ったが、あとの祭りである。
唇を噛みしめ、もう一度試みるが、悲しい結果が繰り返されるばかり。
まるで、二人羽織をしているかのごとく、しばらく我を忘れてかけそばと孤軍奮闘していると、隣に座っていた若い女性が、慈愛にみちた表情で、しかし、意を決したように私にむかってひとこと
"May I Help You?"
だよね。
生まれて初めて箸使ってる外国人にみえるよね。
"Yes, Please"といったら、何をしてくれたんだろう?と考えながら、なんとかそばを食い切った私は、敗れた感じで店をあとにした。
あのとき声をかけてくれた方、あなたの気持ちが嬉しかった。有り難う。
あのとき声をかけてくれた方、あなたの気持ちが嬉しかった。有り難う。