2012年2月21日火曜日

ベトナムの床屋できな粉飴をみた

木と塗り壁で囲まれた、居心地がよい店内。こちらは店主
容赦ない陽が降り注ぐ昼下がり。ベトナム郊外の一軒の床屋。

私のすぐ後ろから、追いかけるように入ってきたひとりの男性が、店に入るなり、やおらシャツを脱ぎだした。
その客は、あっというまに、上半身裸、限りなく下着に近い短パン一丁という出で立ちになったとおもうと、手慣れた様子で床屋用の椅子に腰掛けた。常連なのだろう。
彼は、これから起こる何ごとかを心待ちにしているかのように、サンダルばきの足を前後にふりながら、うっすら笑みさえ浮かべている。

この時点で、私の興味は、パンツ一丁のこの客に集中していた。

客を一瞥した、主とおぼしき親爺さんが、店の奥に向かってなにやら叫ぶと、しばらくして、ひょろりと背の高い髭面の男がのっそりと現れた。
怪しい。それもかなり。

痩せ型長身、この職業にあるまじき、延び放題の髭と髪。分厚いメガネをかけ、頭には、登山などで使うヘッドランプを着用している。
「いらっしゃい」とか、客にむかって微笑みかけるとか、そういったサービスは一切抜きだ。
このマッドサイエンティスト風の男は、客と一言二言かわすと、ふかくうなずき、おもむろに、椅子の背もたれを座面と一直線になるまで倒した。いまや、かの客は、パンツ一丁で、仰向けに寝そべっている状態である。
やがて男は、怪しげな針金状の束を取り出し、片目をつぶった。そして、刀匠が刃の鍛え具合をみるかのように、分厚いメガネの下で、開いているほうの目を細め、探るような手つきで、そのなかから、何本かを選び握り締めた。
それから、パンいちさんの脇に腰掛けると、一呼吸おいたあとに、実に厳かな手つきで、始めたのである…
耳かきを。

最近は少なくなったが、日本でも、耳かきをおこなう床屋はある。
しかし、下の写真を見て頂きたい。
行っているサービスは同じだが、見た目のディテールが全く違う。

男は、耳かき棒を時々持ちかえる以外は、肘も腕も身体も顔も1ミリだって動かさない。けれども、耳かき棒をもつ二本の指だけは、絶えず微細に動いている。
彼は、けっして感情を面にださない。そして一言も口をきかずに作業に没頭している。
プロフェッショナル。いやがおうにも、その一言が頭に浮かぶ。

いっぽうのパンいちさんのほうはというと、男に何もかもゆだねていて、まるで夢みる赤ん坊のような表情で、目を閉じ、ときおり、だらしなく微笑んだりしている。

そして、ついに私は目撃することになる。
パンいちさんがパンいちになった理由を。

1,2分後、急に、男の指先の動きが止まった。耳かき棒が、静かに耳穴から抜かれていく。
その瞬間、私は、耳かき棒の先端から目を離すことができなくなった。
耳かき棒の先端に、小ぶりな、きな粉飴のようなものが、突き刺さっていたからである。
不覚にも、それが、パンいちさんの巨大な耳垢だと理解するまでに、1,2秒を要してしまった。

しかし、この出来事を忘れられないものにしたのは、パンいちさんの耳垢の大きさではなく、次に男がとった行動だった。

相変わらず表情をくずさない男は、取り出したきな粉飴を、ごく当然というふうに、上半身裸で寝そべっている、パンいちさんの右乳首の3㎝ほど上あたりに、そっと置いたのだ。
いっぽうの、パンいちさんはというと、仰向けのまま、薄目を開け、自分の裸の胸の上にあるモノを見ると、ぱっと花が咲いたように笑顔をみせた。
まるで、たったいま生まれ出た我が子を、初めて目にした母親のように。

パンいちさんは、このために上半身裸になったのだ。   と思う。

取り出したモノをなぜそこに?ということは、さておき。
傍観しているこちらまで、実にすっきりした心持ちにさせて頂くという、見事な結末をみた私は、パンいちさんは、この店に来るために、少なくとも半年間は、耳掃除を我慢しているに違いないと確信しながら、店を後にした。

ベトナムのディープな話はつきない。

クールに仕事をすすめるベトナム版マッドサイエンティストと、恍惚の表情をみせるパンいちさん。その手際は、米粒に龍の絵を描く中国人のごとし。きな粉飴の写真は、厳か過ぎて撮れなかった。